【浅草①032】浅草八幡町
町番号:浅草①032
町名:浅草八幡町
読み方:あさくさはちまんちょう Asakusa-Hachimanchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年5月
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区蔵前三丁目
概要:高野山興山寺跡で後に大護院の受領地となり、元禄年間(1688~1704年)に町屋が開かれ、「浅草大護院門前」と称していた。明治維新後、大護院が別当を勤めていた石清水八幡神社に因んで「浅草石清水門前」と改称し、1869(明治2)年5月にはさらに「浅草八幡町」と改称。1872(明治5)年の戸数46・人口169(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。明治40年代は雛人形屋、飲食店が多かった。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、蔵前三丁目に編入となり消滅。現行の蔵前三丁目13・14、20番。石清水八幡神社は「蔵前神社」と改称して蔵前三丁目に現存。
以下に石清水八幡宮について記述。
浅草八幡町は、石清水八幡宮、塩竈神社の社地であり、町域は狭小であった。
「石清水八幡宮。御朱印社領二百石。当社、石清水八幡宮境内、拝領の儀は、元禄六酉年五月二十七日、高野山興山寺上り屋敷拝領つかまつり、同年八月、八幡宮社頭建立の節、御金子三百両拝領つかまつり、諸堂建立つかまつり候。其の節、境内坪数二千二百七十一坪六合拝領つかまつり候。其の後、享保十七子年三月二十八日類焼つかまつり候に付、替地として、元坪の通り、浅草三嶋町に遷し置かれ候ところ、延享元子年三月二十日、寺社御奉行大岡越前守忠相殿、三嶋町の儀、御祈願所に不相応にして、別けても、神前の向、宜しからず候に付、此の度、御上意を以て元地へ引き移し候よう仰せ付けられ候旨、申し渡され候。」
即ち、創建39年後に類焼し、浅草三嶋町に遷されていたが、その12年後の1744(延享元)年4月15日に元地である蔵前の八幡町に還幸となった。当時は神仏習合思想に基づき、全国の主要な神社には付属して別当寺が建立されていた。そして、当社石清水八幡宮の別当寺としては、雄徳山大護院(新義真言宗)が営まれ、江戸の『切絵図』にも見られる。正式な社号は「石清水八幡宮」だが、一般には「蔵前八幡」又は「東石清水宮」と唱えられ、庶民の崇敬者が甚だ多く、関東地方における名社の一つに数えられた。
撮影場所:浅草八幡町
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