【浅草①041】浅草並木町

町番号:浅草①041

町名:浅草並木町

読み方:あさくさなみきまち Asakusa-Namikimachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区雷門二丁目

概要:浅草寺雷門から駒形堂に至る通りの両側の門前町で、町奉行支配で浅草寺領年貢地。「往古浅草寺境内より当町迄松桜榎等の並木西側に在之候故、並木町と唱候由申し伝に御座候」(備考)とあり、『吾妻めぐり』(1643(寛永20)年刊)に「あさくさのこまがたどうはこれかとよ、お庭にうつり来しかたちをかげのあらそうは、れんりの枝か相生の松かとこれをうたがわれ、よしののみねのはるとてもこれにはいかでまさるらん」とあるから桜並木であったのであろう。大仏餅の西両国屋、隅田川諸白の山屋、泥鰌の山城屋等があり(酒飯手引草)、12月7・8日には正月用の飾り物の市が立った。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数136・人口748(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、雷門一丁目に編入となり消滅。現行の雷門二丁目。

撮影場所:浅草並木町

撮影地:台東区雷門二丁目3番5号(ライオンズビル 時代屋明治館)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。