【浅草①057】浅草北清島町
町番号:浅草①057
町名:浅草北清島町
読み方:あさくさきたきよしまちょう Asakusa-Kita-Kiyoshimachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1965(昭和40)年7月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1965(昭和40)年7月31日まで「浅草」
現町名:台東区東上野六丁目全域
概要:この地はもともと「浅草新寺町」或いは「稲荷町二丁目」と呼ばれていた(『江戸地名俚俗字引』には「浅草、北清島町、埋堀。」とある)。1698(元禄11)年の火事で、浅草南清島町にあたる所が下谷車坂町代地と屏風坂下六軒町代地となったが、1869(明治2)年、西光寺、源空寺、燈明寺等、7ヶ寺の門前町と下谷埋堀辻番屋敷(下谷辻番屋敷東町)を併せ、新たに「浅草清島町」として起立した。清島町の命名由来は記録がないため不明。昔、この一帯は沼地で島もあったことと思われるので、島の名を採り、澄んで清らかといったことで「清」の字を付したと考える説もある。
浅草清島町は1871(明治4)年、現在の浅草通りを境に南北に分けられ、1872(明治5)年には「南」、「北」の字を冠し、浅草南清島町と浅草北清島町が誕生した。当町はそれまでの源空寺等7寺院の寺地と門前町と下谷辻番屋敷(下谷辻番屋敷東町)。成立時に蝦夷松前藩松前氏上屋敷を併合。同年の戸数287・人口1,266(府志料)。1873(明治6)年、光月町飛地を併合。源空寺には高橋作左衛門、伊能忠敬、谷文晁等の墓がある。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、全域が東上野六丁目に編入となり消滅。
撮影場所:浅草北清島町
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