【浅草①071】浅草山川町

町番号:浅草①071

町名:浅草山川町

読み方:あさくさやまかわちょう Asakusa-Yamakawachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1948(昭和23)年(角川日本地名辞典にはそうあるが、昭和30年代発行の地図にも「山川町」とあるため詳細は未詳)

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1948(昭和23)年まで「浅草」

現町名:台東区浅草七丁目

概要:もと豊島郡峡田領のうち。1698(元禄11)年「浅草金龍山(待乳山)下沼地に二百三拾九坪七合」を幕府辻番屋敷の移転地としたときには、既に町屋が開かれ、「浅草山川町」と称していたといわれ(備考)、それ以前の起立と思われる。町名の由来は、南は待乳山、北は山谷堀に接していたことによる(案内)。待乳山の北裏、鍵の手に曲がった片側町で、俗に「山谷堀」、「砂利場」ともいい、船宿があった。1828(文政11)年の家数39軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1710(宝永7)年に谷中感応寺(天王寺)に代地として給され、「谷中感応寺門前浅草山川町」と称していた(その後、「谷中天王寺門前浅草山川町」と改称)。西の一部が慶応年間(1865~1868年)に「浅草山田町」として分立。1872(明治5)年の戸数60・人口208(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1948(昭和23)年、浅草聖天町に編入となり消滅。ただし、『角川日本地名大辞典』にはそうあるが、昭和30年代発行の地図にも「山川町」とあるため詳細は不詳。現行の浅草七丁目のうち。

撮影場所:浅草山川町

撮影地:台東区浅草七丁目8番7号(山谷堀 聖天橋西詰南側)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。