【浅草①075】浅草今戸町

町番号:浅草①075

町名:浅草今戸町

読み方:あさくさいまどまち Asakusa-Imadomachi

区分:町丁

起立:1713(正徳3)閏年5月

廃止:存続 「今戸」として

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1966(昭和41)年9月30日まで「浅草」

現町名:台東区今戸一・二丁目(入会地だった地域は除く)

概要:今戸村のうちに形成された町屋。「今戸」という地名は、江戸時代以前からあった地名である。はじめは「今津」と書いていた。「今津」とは新しい港といった意味があり、古くからあった上流の石浜港に対して付けられたと考えられている。1713(正徳3)年、町奉行・代官両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数238軒(町方書上)。当町で産する今戸焼は江戸名物の1つで、主として瓦、人形、土風呂を産し、浮世絵や和歌、俳句の題材にもなっている。また、町内には金波桜、二文字屋等の料理屋があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、本龍寺、称福寺等、7寺院の寺地を合併。同年の戸数410、物産に今戸焼瓦器(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1891(明治24)年、地方今戸町字今都(いまず)耕地(今津耕地とも)、同飛地を併せ町域を拡大した。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一部は石浜町一丁目に編入となり、当町の一部と亀岡町一・二丁目の各一部で今戸一丁目に、当町の一部と亀岡町二・三丁目の各一部で今戸二丁目に、当町の一部と亀岡町三丁目、吉野町の北部、橋場町の各一部で今戸三丁目に再編。1935(昭和10)年、残余が隅田公園に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、一丁目の全部と浅草吉野町一丁目、浅草隅田公園の各一部が今戸一丁目と、二・三丁目の全部と浅草吉野町二・三丁目の各一部が二丁目と再編された。

撮影場所:浅草今戸町

撮影地:台東区今戸一丁目5番22号(今戸神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。