【浅草①078】浅草吉野町

町番号:浅草①078

町名:浅草吉野町

読み方:あさくさよしのちょう Asakusa-Yoshinochō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1966(昭和41)年9月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1966(昭和41)年9月30日まで「浅草」

現町名:台東区今戸一・二丁目、東浅草一丁目、清川一丁目、橋場一丁目、浅草六丁目

概要:この地は、1645(正保2)年、矢の倉建設のために収公された浅草元鳥越町が、この地に移り、「浅草新鳥越町」と称していた。

前身の浅草新鳥越町はその山谷橋以北の奥州街道の両側に跨る南北に細長い町域で、南から北へ一~四丁目に分かれていた。一丁目に東京第一の割烹店八百善(画報)、二丁目に八百半があり、四丁目は熱田明神社、円常寺以下寺社が多かった。円常寺には鬼坊主清吉の墓がある。化政期(1804~1830年)の家数587軒(町方書上)。

1869(明治2)年、浅草元鳥越町と紛らわしいので(府志料)、或いは嘗てこの地が「浅茅が原」と呼ばれる野原であったことから「野」の字を採り、それに祝字の「吉」を冠して(案内)、「浅草吉野町」と名付けたといわれる。当町の起立とともに、山谷堀に架かっていた山谷橋も「吉野橋」と改名された。1872(明治5)年、浅草吉野町は周辺の16ヶ寺と熱田神社を合併し町域を拡げた。同年の戸数786・人口2,866(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。同年、浅草新鳥越町時代に四丁目の飛地だった所が浅草光月町となる。1891(明治24)年、浅草地方今戸町の一部が当町、浅草今戸町浅草山谷町浅草玉姫町に編入となる(現・浅草六丁目)。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、亀岡町の一部を合併し、当町の北側を3分して山谷一丁目、清川町一丁目、石浜町一丁目に割譲し、南側を新しく吉野町一~三丁目(一丁目には亀岡町一丁目の一部を編入)、今戸三丁目の一部とした。

1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1961(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、今戸一・二丁目、東浅草一丁目に編入となり消滅。その内訳は山谷堀に架かる吉野橋から荒川区南千住へ通じる通りの東側、一丁目の一部が今戸一丁目の一部に、二・三丁目の各一部が今戸二丁目の一部に、対して西側、一~三丁目の各一部が東浅草一丁目の一部。

町名は消滅したが、町域には「吉野橋」や「吉野公園」にその名を留めている。

撮影場所:浅草吉野町

撮影地:台東区浅草六丁目46番(山谷堀 正法寺橋東詰北側)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。