【浅草①082】浅草神吉町

町番号:浅草①082

町名:浅草神吉町

読み方:あさくさかみよしちょう Asakusa-Kamiyoshichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1965(昭和40)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区東上野四・五丁目

概要:この地は1869(明治2)年、江戸時代の浅草幡随院門前町を改め、「浅草神吉町」として起立した。江戸期には俗に「幡随院店」とも呼ばれた。町名の由来は不明だが、同じ頃隣に下谷稲荷町が起立したことを考えると、神仏のご加護を願うとともに「吉」という縁起のいい字を付けたのであろう。

幡随院は「神田山新知恩寺」と号し、浄土宗京都知恩院の末寺で、1604(慶長9)年に神田台に創建、1617(元和3)年に池之端に転地、さらに1659(万治2)年、当地に移転した(備考)。門前町屋の起立年代は不詳だが、古くから沽券地であった(備考)。1828(文政11)年の家数は84軒(町方書上)。講談や芝居でお馴染みの侠客幡随院長兵衛(本名は塚本伊太郎)ははじめこの地に住んでいたといわれ、その墓は現・東上野六丁目の源空寺にある。なお、幡随院は1940(昭和15)年に自火焼失したため小金井市に移転したが、「幡随院」という通り名はそのまま使われた。

1872(明治5)年4月に出羽本荘藩六郷氏下屋敷と近隣の武家屋敷地を併せて町域を拡げた。同年の戸数116・人口439(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。その際、浅草区と下谷区の境界変更が行われ、一部が下谷区に編入された。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。その際、光月町と同様に冠称を付さず。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、東上野四・五丁目に編入となり消滅。東上野四・五丁目の北半部。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和17年町域の一部を下谷区に編入」とあるが間違い。

撮影場所:浅草神吉町

撮影地:台東区東上野五丁目23番15号(民家)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。