【浅草①083】浅草町

町番号:浅草①083

町名:浅草町

読み方:あさくさちょう Asakusachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1932(昭和7)年

冠称:なし

現町名:台東区東浅草二丁目、清川二丁目、日本堤一・二丁目

概要:浅草駒形町付近が用地となったため、町民は亀戸村内に5町余の替地を与えられ移住。1682(天和2)年頃、亀戸村は場末のため「渡世の相成兼候」との理由で町民は浅草に移り住み山谷浅草町を起立(備考)。文政年間(1818~1830年)の家数276軒(町方書上)。「旧高旧領」の石高は3石余で浅草寺領。

前身の山谷浅草町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、南側に接する浅草山谷町と区別するため、山谷浅草町を「浅草町」と改称。1872(明治5)年の戸数280・人口893(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1891(明治24)年、千束村のうち、字東耕地と地方山谷町字田中耕地を編入。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、山谷町二~四丁目、清川町一・三丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和7年山谷1~4丁目・清川町3丁目の各一部となる」とあるが間違い。

撮影場所:浅草町

撮影地:台東区清川二丁目38番12号(泪橋ホテル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。