【浅草①081】浅草光月町

町番号:浅草①081

町名:浅草光月町

読み方:あさくさこうげつちょう Asakusa-Kōgetsuchō

区分:町丁

起立:1870(明治3)年

廃止:1965(昭和40)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区千束二丁目、入谷二丁目

概要:この地は、江戸時代初期まで田圃或いは沼地だった。その後、埋立てられ、寺院等が建てられた。1645(正保2)年、現・松が谷二丁目に現存する海禅寺の東北部に浅草元鳥越町の代地として給された浅草新鳥越町四丁目飛地が造られ、浅草鳥越町の商戸をここに移した。1870(明治3)年、この飛地は「浅草光月町」と改称。町名の由来は、町の近くにあった東光院の「光」と燈明寺の「明」の旁を採って名付けたとされている。東光院と燈明寺はともに現存。1872(明治5)年、北側に位置する筑後柳河藩立花家11万9,000石の下屋敷跡地を合併。同下屋敷跡地は浅草光月町の飛地となる。同年の戸数24・人口62(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。1891(明治24)年3月、起立時の範囲である浅草新鳥越町四丁目飛地の部分を浅草松葉町に割譲(現・松が谷三丁目)。この結果、飛地の旧立花家下屋敷跡地の部分が浅草光月町となった。1943(昭和18)年7月1日、東京都に所属。その際、浅草区と下谷区の境界変更が行われ、浅草区光月町と下谷区光月町に分離。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区成立に伴い、浅草区光月町と下谷区光月町を再併合して台東区光月町となる。そのような経緯から以降「浅草」「下谷」の冠称を付さず。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、千束二丁目、入谷二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草光月町

撮影地:台東区入谷二丁目12番2号(光月湯コインランドリー)

←080浅草元吉町 082浅草神吉町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。