【浅草①092】浅草田中町

町番号:浅草①092

町名:浅草田中町

読み方:あさくさたなかまち Asakusa-Tanakamachi

区分:町丁

起立:1891(明治24)年3月

廃止:1966(昭和41)年9月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1966(昭和41)年9月30日まで「浅草」

現町名:台東区東浅草二丁目、日本堤一・二丁目

概要:『嘉永江戸図』では田地。1889(明治22)年5月1日、東京市成立時に東京府北豊島郡地方山谷町、千束村から東京府東京市浅草区に編入された地域。整理後の1891(明治24)年3月に東京府北豊島郡地方山谷町字田中耕地と千束村字西耕地を併せて起立。地名の由来は、この辺りは古くから水田が広がる土地で、町域は田の中だったことから俗に「田中」と呼ばれていた。町名の由来は、町の起立とともに、「田中」という俗称を町名に付したといわれている。

帝都復興計画の一環により、1932(昭和7)年に一部は山谷三・四丁目に編入となり、1934(昭和9)年には田中町の一部、元吉町の全域、地方今戸町山谷町の各一部を合併して田中町一~三丁目及び田中町に分かれる。1941(昭和16)年、もともと浅草田中町だった地域が日本堤三・四丁目の各一部に編入となり消滅。

田中町一~三丁目は、1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。しかし、1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、一丁目は東浅草二丁目に、二丁目は日本堤一丁目に、そして三丁目は日本堤二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草田中町

撮影地:台東区日本堤二丁目25番4号(たなか多目的センター)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。