【本所①001】本所元町

町番号:本所①001

町名:本所元町

読み方:ほんじょもとまち Honjo-Motomachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1929(昭和4)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」

現町名:墨田区両国一・二丁目

概要:はじめ葛西郡西葛西領のうち。古くは「大西」(極西の義)と呼ばれていた。『備考』には「南本所邨之内之所起立より町屋ニ而家建込諸商売仕、町並御年貢諸役等相勤来最初之町屋ニ付、元町と相唱え申候」とある。

前身は「南本所元町」といい、1664(寛文4)年に起立した。町名の由来は、南本所村において、起立当時からの町屋であり、御年貢諸役等を務めてきたため、「最初の町屋」という意味から「元町」と唱えたといわれる。俗称「元竹蔵」は、本所回向院の後ろの本所元町の付近を称した(江府名勝志)。幕府の竹蔵があったことからこの名が付いた。1659(万治2)年に取り立てとなり、一時代官支配地となった。もともと年貢地町屋だったが、1684(貞享元)年に竪川通の町屋が召し上げられ上地となり、代官・伊奈氏の支配地となった。1702(元禄15)年に赤穂浪士が討入前に集結したという「原治」という蕎麦屋があった(画報)。1703(元禄16)年に家作御免の町屋となり、1713(正徳3)年から町奉行支配となった。

1697(元禄10)年10月には町内中央にあった入堀が埋め立てられて道休に与えられ、その後には北方の明地が材木方手代6人に給与された(『本所区史』には「寛永元年」とあるがそれでは時代が遡ってしまう)。本町より竪川沿いに小松川村逆井橋に通じる「佐倉街道」又は「行徳街道」とも称する道路がある。1734(享保19)年11月、竪川沿いの古木置場を新規町屋とした。

1791(寛政3)年、回向院境内で興行された大相撲は、現在の相撲本場所の始まりとされる。1909(明治42)年1月まで行われたが、翌年国技館の完成により廃止された。回向院には山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉も眠る。1828(文政11)年の家数192(町方書上)。俗に表通りを「東両国」、裏通りを「土手側」といった(備考)。小泉与兵衛による握り寿司発祥の地でもある(現・両国一丁目8番)。狂歌「鯛比良目(ひらめ)いつも風味は与兵衛ずし 買手は見世にまって折詰」。1930(昭和5)年、惜しくも廃業。

前身の南本所元町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)~1871(明治4)年2月、浄土宗国豊山回向院、天台宗高野山大徳院等の寺地や、南本所元町御用屋敷、南本所御用屋敷、本所尾上町を合併。1872(明治5)年に「本所元町」と改称。同年の戸数293・人口1,470(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。

1929(昭和4)年、帝都復興計画の一環により、東両国一・二丁目に編入となり消滅。現行の両国一・二丁目。

撮影場所:本所元町

撮影地:墨田区両国二丁目10番(回向院正門)

002本所藤代町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。