【本所①027】本所外手町
町番号:本所①027
町名:本所外手町
読み方:ほんじょそとでちょう Honjo-Sotodechō
区分:町丁
起立:1878(明治11)年11月2日
廃止:1930(昭和5)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」
現町名:墨田区本所一・二丁目
概要:古くは葛飾郡西葛西領のうち。1878(明治11)年11月1日までは南本所外手町。町名は隅田川土手外にあり、「外土手村」と称していたことに因む。『備考』には「古来南本所村之内所起立より町家ニ有之」とある。1658(万治元)年、田畑が御用地として召し上げられた。しかし不自由ということで訴えたところ「町家之儀者其尽ニ被差置候間、江戸町続之儀ニ候間諸商売致渡世可仕」と許しが出た。
『大江戸今昔めぐり』ではライオン本社のある本所一丁目3番7号の東南とその南向かいに1箇所、隅田川厩橋東詰の本所一丁目35番に1ヶ所(横網二丁目14番北部にかかる)、石原一丁目40番の東南の計3ヶ所確認できる。『北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一年八月ノ形』では石原一丁目37番にも1箇所確認できる。
1660(万治3)年、町内続地に上野館林家蔵地ができたため、年貢米や切米の運送船の往来が多くなり、諸商売人の流入が激しくなり、借家・借店が建て込んだ。1704(宝永元)年、永々町屋家作御免となった。1713(正徳3)年、それまで代官支配だったが、町奉行との両支配となった。また町の北が阿部対馬守抱屋敷ができたため、1702(元禄15)年に御用地として召し上げられたため、元蔵地跡に代地が与えられた他に飛地が2ヶ所あった(備考)。1828(文政11)年の家数11軒(町方書上)。
前身の南本所外手町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、陸奥守山藩松平氏抱地他の武家地を合併。同年の戸数182・人口719、物産に蝋蠋、硝子風鈴等があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。その際、「本所外手町」と改称。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。
1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、厩橋一・二丁目に編入となり消滅。現行の本所一・二丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』には「昭和5年に厩橋1~4丁目の一部となる」とあるが間違い。
撮影場所:本所外手町
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