【本所①035】本所北新町
町番号:本所①035
町名:本所北新町
読み方:ほんじょきたしんちょう Honjo-Kita-Shinchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1930(昭和5)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」
現町名:墨田区東駒形三丁目、本所二・三丁目
本所新町はもとは本所内の荒地・沼地であった。1696(元禄9)年、御賄陸尺295人の大縄拝領町屋敷に仰せつけられた。1728(享保13)年の大水の際に詳細な記録は失われたが、新規の町屋であることから「本所新町」と称したらしい。町の本所北割下水より北方通りを俗に「仲町(中町)」と称した(備考)。
中之郷仲間新町は1869(明治2)年まで「中之郷御仲間新町」といった。中之郷村田畑が1697(元禄10)年、御仲間方大縄拝領屋敷になり、1700(元禄13)年に町家が建てられ、1713(正徳3)年に町奉行支配となる。町名も中之郷新町屋に御仲間の名目を加えて起立する(備考)。1828(文政11)年の家数6(町方書上)。
前身の本所新町、中之郷仲間新町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)~1872(明治5)年、両町は合併し、さらに北割下水を境として南側は本所若宮町、北側は本所北新町に分裂する。
1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。
1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、東駒形三丁目、厩橋二・三丁目に編入となり消滅。現行の東駒形三丁目、本所二・三丁目。
※『角川日本地名大辞典』には「昭和5年東駒形2~3丁目・厩橋2~3丁目となる。現行の東駒形2~3丁目・本所2~3丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:本所北新町
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