【本所①043】小梅業平町

町番号:本所①043

町名:小梅業平町

読み方:こうめなりひらちょう Koume-Narihirachō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1930(昭和5)年8月

冠称:「小梅」

現町名:墨田区吾妻橋三丁目、東駒形四丁目

概要:前身は小梅代地町(小梅町)。古くは葛飾郡小梅村のうち。小梅村に水戸藩下屋敷ができたため、その部分で代地として源森川南岸に与えられた。元禄年中(1688~1704年)は代官伊奈氏支配地。1713(正徳3)年から町奉行・代官両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数180、反別は1町7反1畝14歩。1734(享保19)年に町内の中ほどにあった千葉山満願寺(当山派修験)沼地とも90坪の土地が鷭場として召し上げられ、寺は請地村へ移転した。町内の北側に業平天神社があり、俗に「業平前」、「業平町」と称した。また、西側には銀座の大黒長左衛門の住居があったので「銀座長屋」と俗称した(備考)。

前身の小梅代地町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「小梅町」と改称。さらに1872(明治5)年、大久保駿河守の邸地等の武家地を合併し、「小梅業平町」と改称した。同年の戸数195・人口768(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。

1930(昭和5)年8月、帝都復興計画の一環により、吾妻橋三丁目、東駒形四丁目に編入となり消滅。

撮影場所:小梅業平町

撮影地:墨田区吾妻橋三丁目2番9号(下総屋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。