【深川①006】深川富吉町
町番号:深川①006
町名:深川富吉町
読み方:ふかがわとみよしちょう Fukagawa-Tomiyoshichō
区分:町丁
起立:1695(元禄8)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区佐賀一丁目、永代一丁目
概要:深川猟師町8ヶ町の1つ。切絵図では永代橋の東、信濃松代藩真田信濃守下屋敷・御船手組・浄土宗深川山貞徳院正源寺に隣接している。寛永年間(1624~1645年)の開発で、町名は開発者・富吉助十郎の名に因むもので、はじめ「助十郎町」といった。開発当初は無年貢地だったが、1670(寛文10)年の検地から年貢地となった。1695(元禄8)年、石高を9石余に定められたが、1702(元禄15)年、西念寺が深川黒江町に移転したため、若干増加した。1695(元禄8)年の検地の際、町名を「深川富吉町」と改称。1713(正徳3)年、町奉行・代官両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数220軒(町方書上)。町内の北には鎮守の楫取稲荷があった。正源寺は代官・伊奈氏分家の墓所、初代・市川団十郎の墓がある。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、元海軍所上地、陸奥八戸藩南部氏拝借地、正源寺の寺地を合併。同年の戸数161・人口593(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。福島橋の北を「奥の町」と俗称した(画報)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、佐賀町一丁目、永代一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:深川富吉町
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