【深川②】深川海辺大工町代地町
町名:深川海辺大工町代地町
読み方:ふかがわうみべだいくまちだいちまち Fukugawa-Umibe-Daikumachi-Daichimachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「深川」
現町名:江東区清澄一丁目、白河四丁目、三好四丁目
概要:清住町続・永堀町続・扇橋町続・南本所扇橋町代地続の4ヶ所があった。清住町続・永堀町続・扇橋町続の町の元地は深川海辺大工町、俚俗「上町(分)」。1697(元禄10)年、深川海辺大工町の一部が上地され、御船手役屋敷となった際、清住町続・永堀町続・南本所扇橋町代地続の3ヶ所に代地を与えられた。1699(元禄12)年、同じく俚俗「上町(分)」のうちの亥の堀川通りが堀を開削のため上地となった際、扇橋町続に代地が与えられた(備考)。化政期(1804~1830年)の家数は4ヶ所の合計で147軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、清住町続の町屋は深川清住町・深川福住町二丁目、扇橋町続・南本所扇橋町代地続の町屋は深川扇橋町一・二丁目となる。現行の清澄一丁目、白河四丁目、三好四丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』は、永堀町続の廃止について触れていないが、永堀町続も1869(明治2)年、西部は深川東永代町、東部は起立の深川大住町に編入となり消滅。また『角川~』は当町の廃止年を1871(明治4)年としている。
撮影場所:深川海辺大工町代地町(南本所扇橋町代地続深川海辺大工町代地町)
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