【深川①073】深川御船蔵前町

町番号:深川①073

町名:深川御船蔵前町

読み方:ふかがわおふなぐらまえちょう Fukagawa-Ofunaguramaechō

区分:町丁

起立:寛文年間(1661~1672年)

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区新大橋二丁目

概要:切絵図には竪川の南で、永代橋へ向かう通りの東側に2ヶ所記されている。西葛西領のうち、江戸初期は深川村に属していたが、寛文年間(1661~1672年)に町屋が設けられた。町名は大川端に幕府御船蔵があったことによる。検地は1695(元禄8)年、反別9反6畝余で石高は11石5斗余。1713(正徳3)年、町奉行・代官の両支配となる。化政期(1804~1830年)の家数168軒(町方書上)。

1702(元禄15)年、赤穂浪士一行は吉良討入りの帰途、当町の表通りを通り、永代橋へ向かったという。町内の土手通りには御主水衆の住居があり、「山伏町」と呼ばれる地域もあった(砂子)。寛政年間(1789~1801年)まで岡場所があった(花散る里)。町の北側に八幡宮御旅所があるので「八幡御旅所」或いは御船蔵の間に幕府軍船安宅丸の船塚があったので「安宅」と俗称した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、深川八幡旅所門前(町)を合併。1872(明治5)年、付近の御船蔵番人等の武家地及び真言宗(のち曹洞宗となる)日照山中央寺(1630(寛永7)年建立)、浄土宗東日山正明院西光寺等の社寺地を合併。同年の戸数329・人口1,280(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。中央寺には安宅丸にあった「船玉」と称された大日像が安置されており、防火の神としても信仰を集めた(江東区史)。他に初音稲荷があった(画報)。

帝都復興計画の一環により、1933(昭和8)年に一部を本所区千歳町に編入、1934(昭和9)年、現行の新大橋二丁目に編入となり消滅。現行の新大橋二丁目のうち。

撮影場所:深川御船蔵前町

撮影地:江東区新大橋二丁目16番5号(三国屋)

←072深川安宅町 074深川東六間堀町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。