【荏原】白金永峯町
町名:白金永峯町
読み方:しろかねながみねちょう Shirokane-Nagaminechō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1889(明治22)年4月30日
冠称:「白金」
現町名:品川区上大崎二~四丁目
概要:『御府内備考』には、当町と東隣の白金六軒茶屋町について、「以上二ヶ町は台町に続きて目黒町の間ニ挟りたれは白金の六軒茶屋町白金の永峯町と都下の人は称すれと左にあらす二ヶ町とも皆上大崎村の内なり故に姑く白金の附録とす」と断りがある。つまり、2町は正式には「白金」の冠称を付してはいなかったが、慣用的にそう呼ばれていたようなので、このサイトでは「白金~」とする。なお、『御府内備考』は永峯町の漢字表記を「永峰町」としている。また、時代小説『夜桜乙女捕物帳 白刃の紅』(和久田正明)では、隣の六軒茶屋町ともども、「白金」の冠称が付されて登場する。
大崎村は正保年間(1645~1648年)に上と下に分離(『新編武蔵』では正保(1645~1648年)~元禄(1688~1704年)年間に立村とある)。当町は上述のとおり、上大崎村のうちにあった。『元禄郷帳』に上大崎村の枝郷として記載されている「永峰六間茶屋町138石余」(漢字表記ママ)は、その後、永峯町、六軒町、六軒茶屋町となり、1713(正徳3)年に町奉行支配となる。『新編武蔵』には、上大崎村の小名として各町が記載されている。
芝白金台と目黒台の間は沖積層、目黒川が流れている。したがって目黒川沿いの低地からはどちらを向いても山が切り立っているように見える。町名の由来となった「永峯」とは、芝白金台から目黒川に向けての地形を指すものかと思われる。行人坂、権之助坂、茶屋坂、新茶屋坂、別所坂、新道坂、上村坂と、目黒に出るにはその峯続きのどこからも全てが急坂になっている。歌川広重(初代)の『名所江戸百景 目黒千代か池』の段々滝もこの地形から生まれた景色である。
なお、町域には1885(明治18)年3月16日に開業した目黒駅がある。駅名を「目黒」としたが、現在の品川区区域(当時は上大崎村)に開業した理由としての「目黒駅追上事件」は余りにも有名。蒸気機関車の煙や振動が農作物に悪影響を与えると心配した地元農民の反対運動が起き、目黒川沿いに鉄道を建設する当初計画が変更されたというのだ。各地で起きたという鉄道忌避はどれも証拠が残っておらず、都市伝説の1つとされていて真偽は不明。ただし、重要文化財指定『東京高崎間鉄道線路図』には面白い事実が隠されている。
慶応4年(明治元年)6月19日(1868年8月7日)又は慶応4年(明治元年)6月29日(1868年8月17日)、武蔵知県事上大崎村に所属。明治2年1月13日(1869年2月23日)又は明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県荏原郡上大崎村に所属。明治4年11月14日(1871年12月25日)又は明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府荏原郡上大崎村に所属。
1878(明治11)年11月2日、東京府荏原郡上大崎村に所属。1889(明治22)年5月1日、町村制施行によって上大崎村は、下大崎村、谷山村の大部分、桐ヶ谷村、居木橋村、白金村の一部、北品川宿の一部、芝区白金猿町の一部とともに大崎村を発足させる。当町は東京府荏原郡大崎村大字上大崎字永峯通となり消滅。1908(明治41)年8月1日、大崎村が町制施行し、大崎町となる。当地は東京府荏原郡大崎町大字上大崎字永峯通、麦ヶ崎、西ノ谷となる。
1932(昭和7)年10月1日、荏原郡全域が東京府東京市に編入となる。大崎町町域は東京府東京市品川区に編入となり、旧町域は上大崎二~四丁目に編入となり、「永峯」の名は完全に消滅した。
撮影場所:白金永峯町
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