【南豊島】千駄ヶ谷仲町

町名:千駄ヶ谷仲町 一・二丁目

読み方:せんだがやなかちょう Sendagaya-Nakachō

区分:町丁

起立:1868(慶應・明治元)年

廃止:1879(明治12)年9月26日

冠称:「千駄ヶ谷」

現町名:渋谷区千駄ヶ谷一、四~六丁目

概要:1868(慶應・明治元)年、黒鍬組大縄地、幕臣邸、内藤新宿添地が一丁目に、下総古河藩邸、幕臣邸、空地が二丁目となって成立。江戸期の地図では「黒鍬町」、「御切手町」、「日陰町」と俗称されていた地域。かなり広範であった。1872(明治5)年の一丁目の戸数114戸・人口467人、二丁目の戸数34戸・人口179人、物産は桑、生茶(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1879(明治12)年9月27日、東京府四谷区から東京府南豊島郡千駄ヶ谷村に編入されることになり、千駄ヶ谷村大字千駄ヶ谷字新屋敷、八幡前等々に編入となり消滅。

撮影場所:千駄ヶ谷仲町一丁目

撮影地:渋谷区千駄ヶ谷四丁目18番1号(国立能楽堂)

千駄ヶ谷八幡町 与力町


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。