【南豊島】内藤新宿番衆町
町名:内藤新宿番衆町
読み方:ないとうしんじゅくばんしゅうちょう Naitō-Shinjuku-Banshūchō
区分:俗称→町丁→大字→町丁
起立:江戸期
廃止:1978(昭和53)年6月30日
冠称:1920(大正9)年3月31日まで「内藤新宿」
現町名:新宿区新宿一、五丁目
概要:古くは武蔵国豊島郡四谷村に属し、江戸期には幕府番士(江戸城内に宿直勤番して警衛を司った番方)の屋敷地で、北隣の東大久保とともに俗に「番衆町」と称した。靖国通りから南を「表番衆町」、東大久保一帯(靖国通りから北、現・東京医大通りから南)を「裏番衆町」ともいった。
1868(明治2)年、内藤新宿番衆町が正式に起立、品川県豊島郡に所属。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数21・人口97(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府南豊島郡に所属。1889(明治22)年5月1日、内藤新宿町が成立、東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿番衆町となる。1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿番衆町となる。
1920(大正9)年4月1日、東京府東京市四谷区番衆町となる。その際、もと内藤新宿町大字内藤新宿番衆町の全域に大字内藤新宿北裏町の一部を併合して町域を拡げる。1943(昭和18)年7月1日、東京都四谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1978(昭和53)年7月1日、住居表示の実施により、新宿五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:内藤新宿番衆町
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