【南豊島】長町

町名:長町

読み方:ながまち Nagamachi

区分:小字

起立:不明

廃止:1932(昭和7)年9月30日

冠称:なし

現町名:新宿区西新宿五丁目

概要:淀橋町の南にあった角筈村の小字。青梅街道にも本村にも近いので小字であっても人はわりとは居付いていたと思われる。ただし、その範囲を「454-600番地」としている『土地概評価. 豊多摩郡淀橋町』(大正9年8月調)では注釈として、「浄水所の西方に当る旧神田上水沿岸の低地にて近年著しく宅地を増加し北端の東京電燈変電所其他二、三の工場あり、淀橋々畔より十二社に至る道筋の如きは商家軒を連ねるに至れり、然れども上水岸の一部には尚若干の田地あり」とあるので、発展しはじめたのは大正に入ってからかもしれない。

明治初年に武蔵知県事管轄地所属。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県豊島郡に所属。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。

1878(明治11)年11月2日、豊島郡のうち12町25村の区域をもって南豊島郡が発足。東京府南豊島郡角筈村大字角筈字長町となる。1889(明治22)年5月1日、南豊島郡柏木村、角筈村、内藤新宿添地町の一部が合併し淀橋町成立。東京府南豊島郡淀橋町大字角筈字長町となる。1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈字長町となる。

1932(昭和7)年10月1日、東京市淀橋区発足。字本村、字淀橋、字谷中とともに淀橋に編入となり消滅。

なお、wikipediaの「淀橋町」でも、長町の地番は「454-600」となっており、東京逓信局編纂『東京府豊多摩郡淀橋町大久保町』でも地番と範囲を確認すると、それは「長町」と書かれている箇所より東側に書かれている「東田」とその北側に書かれている「豊水」の範囲を含んでいる。さらに引用すると、1932(昭和7)年10月1日に淀橋となって消滅した大字角筈の字は「大字角筈字本村・砂利場・二軒家前・長町・東田・豐水・鷹場・淀橋・谷中前・谷中」とあるが、これは字以外の通称地名(小名)も含まれている。

つまり、字長町の「東田、豊水」、字谷中の「鷹場」、字本村の「砂利場、二軒屋前」を含んだ表記ということになる(谷中前については不明)。同じくWikipediaの「新宿区の町名」の「旧淀橋区の町名」の項にある表には、後に西新宿となった淀橋の前身である「淀橋町大字角筈」の小字として、「本村、長町、淀橋、谷中」が記載され、備考欄には「地区内に砂利場、東田、豊水、鷹場、二軒屋前などの通称地名があった」とある。

ちなみにここがこのサイトにおいての江戸最西端の町(町丁ではなく「小字」ではあるが)。

撮影場所:長町

撮影地:新宿区西新宿五丁目5番5号(香花園)

淀橋町 大久保町


参考:東京逓信局編纂『東京府豊多摩郡淀橋町大久保町』ではっきりと「長町」と書かれている現在地を撮影。新宿区西新宿五丁目20番7号(司食品工業)

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。