【北豊島】高田四ツ家町
町名:高田四ツ家町
読み方:たかだよつやちょう Takada-Yotsuyachō
区分:字→町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「高田」
現町名:豊島区雑司が谷二・三丁目、高田一・二丁目、目白一・二丁目
概要:幕府領下高田村のうち。もと4軒の家があったことから「字四ツ家」の名が起こった。1646(正保3)年に済松寺領、1634(寛永11)年に宗参寺領、1700(元禄13)年に蓮華寺領となった分が、1745(延享2)年に町方支配となって成立(備考)。なお、一部が1702(元禄15)年、芳心院領となり、高田四ツ家下町(高田四ツ家下モ町)に分離した。鼠山道(目白通り)に沿っていた。化政期(1804~1830年)の家数188軒(町方書上)。
鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の舞台。作中「雑司ヶ谷四谷町」と舞台設定しているが、正式にはその地名は実在しない。現在の千登世橋から目白台辺りの総称としてそう呼んだものであろう。なお、「よつや」は「四谷」、「四ツ谷」、「四家」、「四ツ家」等と書き残されているが、どれが正式なものであるかは不明。
明治元年11月5日(1868年12月18日)又は明治元年11月14日(1871年12月25日)、東京府豊島郡に所属。1869(明治2)年6月、済松寺領高田四ツ家町が「高田千登世町」と、蓮華寺領及び宗参寺領高田四ツ家町が「高田若葉町」と改称し消滅。現在の雑司が谷二・三丁目、高田一・二丁目、目白一・二丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』には「現在の雑司ヶ谷2~3丁目・高田2丁目・目白1~2丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:高田四ツ家町
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