【北豊島】駒込妙義坂下町

町名:駒込妙義坂下町

読み方:こまごめみょうぎざかしたまち Komagome-Myōgizakashitamachi

区分:小名→町丁→大字

起立:1737(元文2)年

廃止:1932(昭和7)年9月30日

冠称:「駒込」

現町名:豊島区駒込二・三丁目

概要:町名の由来は、西方に妙義社があるため。百姓地の頃から小名として「妙義坂下」と呼ばれていたため、町名として採用される。妙義坂の別名は「大炊助坂(おおいのすけさか)」。  1737(元文2)年、寺社奉行井上河内守にて町屋を許され、1745(延享2)年12月に町奉行支配地となる。 それ以前は1665(寛文5)年より伝通院領の百姓地であり、さらに前は代官・野村彦大夫の支配地であった。 北の方は谷田川が流れ、霜降橋(又は立合橋(又は立会橋。後に境橋)で西ヶ原村へ通じた。武蔵国豊島郡駒込村のうち。

明治元年11月5日(1868年12月18日)又は明治元年11月14日(1871年12月25日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年、駒込松吉町を合併。同年の戸数30・人口117、腹掛を生産(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府北豊島郡に所属。1889(明治22)年4月1日、市制町村制により、小石川区巣鴨町一丁目から四丁目と北豊島郡上駒込村、駒込染井町駒込妙義坂下町及び巣鴨村の一部、小石川区小石川大塚辻町の飛地が合併して東京府北豊島郡巣鴨町成立。同町は大字駒込妙義坂下町となる。

1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市編入により、巣鴨町は西巣鴨町、高田町、長崎町とともに豊島区内の地となり、当町は駒込三丁目に編入となり消滅。現行の駒込二・三丁目。

撮影場所:駒込妙義坂下町

撮影地:豊島区駒込二丁目7番9号(千成オリエントコート 加賀屋駒込店)

染井七軒町 駒込松吉町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。