【南葛飾】亀戸境町
町名:亀戸境町
読み方:かめいどさかいちょう Kameido-Sakaichō
区分:町丁
起立:1664(寛文4)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「亀戸」
現町名:江東区亀戸三丁目
概要:葛飾郡西葛西領のうち。北十間川の南に位置する。古くは亀戸村のうちで、1664(寛文4)年に百姓町家が起立され、1697(元禄10)年に町並地となる。町名は、町の北に架かる境橋に因む。『隅田川向嶋繪圖 : 安政新刻』では「亀戸際町」と書いて「かめいどさかいちょう」と読ませている。検地は1697(元禄10)年、石高は2石余(備考)、のち代官・町奉行両支配となる。化政期(1804~1830年)の家数16軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、本所亀戸町に編入となり消滅。その後1872(明治5)年、東京府南葛飾郡亀戸村大字柳島字砂原に編入された。現行の亀戸三丁目のうち。『本所絵図』によると、境橋から南に下る道を挟んで、北東に「龜戸堺町」、南東に「柳嶋堺町」、北西に「柳嶋堺町」、南西に「龜戸境町」とある(漢字ママ)。
撮影場所:亀戸境町
0コメント