【南葛飾】柳島境町
町名:柳島境町
読み方:やなぎしまさかいちょう Yanagishima-Sakaichō
区分:小名→町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「柳島」
現町名:江東区亀戸三丁目
概要:柳島村陸奥弘前藩津軽越中守下屋敷及び亀戸村梅屋敷にそれぞれ隣接する。古くは柳島村田畑地の小名で、1697(元禄10)年検地の際に町屋となった(『新編武蔵』では町屋になった年月は不明とされている)。町名は、町の北に架かる境橋に因む。1828(文政11)年の家数27軒(町方書上)。江戸期には、柳島町、柳島横川町、柳島出村町、柳島裏町とともに「柳島五ヶ町」と言われた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、柳島裏町とともにに柳島町に編入となり消滅。ちなみに柳島出村町は1872(明治5)年に本所太平町に編入となり消滅。
なお、1889(明治22)年5月1日の市町村制施行に伴い、横十間川より西の柳島村は東京府東京市本所区に編入され、柳島町、柳島横川町が町域を拡げ、新たに柳島元町、柳島梅森町の2町が成立(1891(明治24)年3月)。また、横十間川より東の区域は東京府南葛飾郡亀戸村の大字に編入されることになり、当町町域も大字柳島字砂原の一部となった。
『本所絵図』によると、境橋から南に下る道を挟んで、北東に「龜戸堺町」、南東に「柳嶋堺町」、北西に「柳嶋堺町」、南西に「龜戸境町」とある(漢字ママ)。
『角川日本地名大辞典』には「現行の太平4丁目・錦糸4丁目・横川4~5丁目のうち」とあるが、それは拡張後の柳島町のことであり、明らかな間違い。
撮影場所:柳島境町
0コメント