【芝②】白金神明社地門前町
町名:白金神明社地門前町
読み方:しろかねしんめいしゃちもんぜんちょう Shirokane-Shimmei-Shachi-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1868(慶応4)年
冠称:「白金」
後身:白金錦町
現町名:港区白金三丁目11番5号
概要:社地門前町と「町」を付けるのが例外的である上に、付近に別当寺がなく、白金氷川社の別当寺報恩寺が勤めた。当初から別当寺名の門前を唱えず、「白金神明社地門前町」と称したことも例外的である。 その報恩寺持ちの神明社境内のうち194坪であったこのところに百姓家が建ち始めたのは寛文年間(1661年~1672年)からで、次第に住人がなくなり、空地になっていたところ、1701(元禄14)年に百姓商売家が許されて、1745(延享2)年12月から町奉行の支配に入った。1828(文政11)年の家数13軒、うち家持2・家守1・店借12(町方書上)。その位置は神明社の左右南北に分かれていて、現行の白金三丁目8番の南北部であったと考えられる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、白金氷川社門前と合併して白金錦町に編入となり消滅。なお、神明社は天喜年中(1053年〜1058年)、源頼義が日本武尊に倣って白旗を納めて祀ったといい、近世は「鷺森神明宮」或いは「鷺森稲荷」と俗称したが、戦後は白金氷川神社に合祀された。『大江戸今昔めぐり』では白金三丁目8番中部と、「神明社」を挟んで11番北東部となっている。
白金氷川社門前にも触れておくと、同町は報恩寺境内のうち122坪に寛文年中(1661年から1672年)、百姓家が建ち始めたが、次第に明地となって、1697(元禄10)年の検地に除地とされた。1701(元禄14)年に百姓が商売家を建てることを許され、1745(延享2)年12月に町奉行の支配となった。1828(文政11)年の総家数は7軒、うち地主3・地借1・店借3(町方書上)。1868(慶応4)年、白金報恩寺門前町と合併し、「白金氷川社門前」と改称して消滅。後身は1869(明治2)年、白金錦町に編入となり消滅。現行の白金二丁目1番4・5号。
撮影場所:白金神明社地門前町
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