【赤坂②】食傷町
町名:食傷町
読み方:しょくしょうちょう Shokushōchō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:なし
現町名:港区赤坂二丁目7番辺り
概要:江戸期の赤坂溜池端芝永井町代地の俗称。地名起源は詳らかでない(画報)が、町の西部に「食傷町」と呼ばれた所があって、飲食物を商う者が多く住んでいたこともあったという(赤坂区史)。森無黄「桐畑の所はあいまいの家が多く、風呂屋に湯女がいた」、吉田勘右衛門「田町五丁目は岡場所といった。吉原が焼けて仮宅が許された」、篠田鉱造「桐畑は食傷町であって、色町であった。ひそかに客をとる場所であった」、森無黄「天保13年に取り払いが行なわれた」(座談会「赤坂区史」)。現行の赤坂二丁目7番辺り。
撮影場所:食傷町
参考:赤坂溜池端芝永井町代地
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