【牛込②】根来百人町
町名:根来百人町
読み方:ねごろひゃくにんちょう Negoro-Hyakuninchō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:なし
現町名:新宿区弁天町、原町一丁目
概要:鉄砲衆の根来百人組同心組屋敷があった地。根来組は江戸幕府における百人組の1つで、紀伊の根来寺の僧兵・根来衆に由来する。徳川家康が鉄砲百人組の一つとして登用。髷を結わず(総髪)、名前の他に「坊」、「院」と名乗る等、自尊心の高い集団であったらしい。扶持は高くなかったが、家康は旗本と同等に裃姿で務めさせた。
鉄砲百人組組屋敷は他に、大久保(伊賀組 大久保百人町)、青山(甲賀組 青山百人町)、内藤新宿(二十五騎組 二十五騎町)に配置された。
なお、根来組ははじめ、現在は防衛省内となる地に屋敷を与えられていたが、尾張藩の上屋敷とされたことで、1656(明暦2)年に当地に移転となった。「牛込根来町」ともいった。
1872(明治5)年、牛込弁財天町が「牛込弁天町」と改称し、牛込七軒寺町の多聞院、千手院、浄輪寺・鳳林寺(宝竜寺)、仏性寺、南春寺、九成寺の寺地・門前と、二八組、宝竜寺組といった御先手組屋敷を併せ、牛込原町も一丁目が根来組、槍組屋敷地と近隣の寺地、三丁目が紀伊新宮藩水野氏屋敷、牛込長久寺門前及び近隣の武家地と寺地を併せ、それぞれ町域を拡大することにより消滅。
撮影場所:根来百人町
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