【小石川②】関口新長谷町
町名:関口新長谷町
読み方:せきぐちしんちょうこくちょう Sekiguchi-Shin-Chōkokuchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1871(明治4)年7月
冠称:「関口」
後身:関口駒井町
現町名:文京区関口二丁目
概要:前身は関口新長谷寺門前。新長谷寺は「東豊山浄滝院」と号し、新義真言宗の寺院。同寺内には目白坂・目白台の由来になった目白不動があった。門前町屋は、1629(寛永6)年に19軒の家作を許され、1737(元文2)年から町奉行支配となる(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「関口新長谷町」と改称。1871(明治4)年7月、関口駒井町に編入となり消滅。現行の関口二丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』や『文京区史』では、関口新長谷寺門前のままで、「関口新長谷町」に改称した経緯はなく、関口駒井町に編入となっている。
撮影場所:関口新長谷町
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