【小石川②】小日向西三軒町

町名:小日向西三軒町

読み方:こびなたにしさんげんちょう Kobinata-Nishi-Sangenchō

区分:町丁

起立:1871(明治4)年6月

廃止:不明

冠称:「小日向」

後身:小日向三軒町

現町名:文京区小日向四丁目

概要:詳細は小日向三軒町を参照のこと。

Wikipediaでは「小日向三軒町―明治2年小日向正智院前町を合併するも再分離、明治4年小日向西三軒町と改称、明治5年小石川薬園屋敷、武家地を合併」とある。

まず、小日向正智院前町は現在の文京区小石川五丁目9番付近であるが、『角川日本地名大辞典』の「小石川御簞笥町上町」の説明には「明治元年東京府に所属。「御」の字を取り簞笥町上町となり、同2年に竹早町となる。現行の小石川5丁目3番付近」とあり、「小日向正智院前町」(珍しく「町」が付いている)の説明には「明治元年東京府に所属。同2年小日向三軒町に編入。現行の小石川5丁目3番付近」とある。

小日向三軒町は、小日向正智院前町を合併し、その後再分離し、1871(明治4)年には「小日向西三軒町」と改称したというが、疑問が2つ。

小日向三軒町小日向正智院前町を再分離させたのはいつなのか。そしてそれまで小日向正智院前町だったところは分離された後、何と名乗ったのか。「小日向三軒町」を名乗り続けたのか、その後町域として組み込まれている小石川竹早町となったのか。

②もとから小日向三軒町だったところは1871(明治4)年6月に「小日向西三軒町」を名乗ったというが、いつの間にか「小日向三軒町」を復称している。それはいつか。俗称「小日向東三軒町」(公称「小日向三軒町代地」)が小石川新諏訪町に納まった1871(明治4)年2月以降か。なお、起立となった小石川新諏訪町へは小日向三軒町小日向正智院前町小日向茗荷谷町の3町が移転。それらをまともめ「小日向三軒町代地」と呼び、さらに「小日向東三軒町」と俗称されたものである。

撮影場所:小石川西三軒町

撮影地:文京区小日向四丁目5番9号(丼太郎茗荷谷店)

小日向正智院前町 関口新長谷町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。