【下谷②】下谷稲荷町

町名:下谷稲荷町

読み方:したやいなりちょう Shitaya-Inarichō

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1872(明治5)年

冠称:「下谷」

後身:下谷南稲荷町下谷北稲荷町

現町名:台東区東上野二~五丁目、元浅草二丁目7番、11番

概要:現・浅草通りの東京メトロ稲荷町駅付近の江戸期の俗称。由来は町域内に稲荷社があって、俗に「稲荷町」といっていたことによる。1869(明治2)年、下谷唯念寺門前(町)、下谷成就院門前、下谷辻番屋敷(町)、下谷宗源寺門前、下谷西蓮寺門前を併合し、正式に起立。1872(明治5)年、新寺通り(現・浅草通り)を境に、下谷南稲荷町下谷北稲荷町に分裂し消滅。詳細は後身の下谷南稲荷町下谷北稲荷町を参照のこと。同年、稲荷社は「下谷神社」と改称し、東上野三丁目に現存。

この地域は「浅草新寺町」ともいわれたが、特にこの界隈は「稲荷町一丁目」と呼ばれていた。1943(昭和18)年、下谷区と浅草区の境界線変更が行われ、唯念寺境内だった地域(現在の元浅草二丁目7番、11番)は浅草区南稲荷町と、嘗て「下谷唯念寺門前町」という門前だった地域(東上野三丁目33番)は下谷区南稲荷町となった。

なお、『大江戸今昔めぐり』では下谷稲荷社の真南の御作事方定普請の西に「稲荷町」とある(台東区東上野三丁目10番、25番付近)。

※『角川日本地名大辞典』では、「現行の東上野2~5丁目のうち」としているが、元浅草二丁目7、11番も該当する。

撮影場所:下谷稲荷町

撮影地:台東区東上野五丁目1番4号(すき家稲荷町店)

下谷辻番屋敷町 下谷江島町




江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。