【下谷②】下谷正宝寺門前町
町名:下谷正宝寺門前町
読み方:したやしょうぼうじもんぜんちょう Shitaya-Shōbōji-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「下谷」
後身:下谷上車坂町
現町名:台東区上野七丁目
概要:『東都下谷繪圖』に「正宝寺門前丁」とある。『角川日本地名大辞典』には「正宝院門前」として掲載されている。
以下、『角川~』に倣って記述する。
正宝院は「慈雲山」と号し、天台宗比叡山延暦寺の末寺で、下谷稲荷社の別当寺。寛永年間(1624~1645年)まで上野山王台にあったが、寛永寺建立の際、山下八軒町に移り、1698(元禄11)年、さらに車坂下御徒組屋敷のうちに移転(寺社書上)。当町ははじめ上野山王下にあったが、1737(元文2)年に類焼後、火除地として収公され、代地を当地に給され、1738(元文3)年に門前町屋の開設を許された。1745(延享2)年町奉行支配となった。化政期(1804~1830年)の家数8軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、下谷上車坂町に編入となり消滅。現行の上野七丁目の一部。
※『角川日本地名大辞典』には「現行の東上野4丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:下谷正宝寺門前町
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