あやしい…

◆西暦と和暦

和暦で書いても「どのぐらいの時期なんだろう」となかなか想像つきにくいので、極力西暦も併記しようと努めています。が、ご存知のとおり、この国は明治に入ってすぐ、陰暦から陽暦に改暦しました。

たとえば「1657(明暦3)年」というのは完全に正しいわけではありません。

明暦の大火が起こったのは、明暦3年1月18~20日ですが、これを西暦で表すと「1657年3月2~4日」となります。ということは、

明暦3年=(1657年の殆ど+1658年のちょこっと)

ということになるので、「明暦3年」としか書いてないものに対して西暦を書き加え、

「1657(明暦3)年」

とするのは、日付によっては当然正しくなくなる場合もあります


<(_ _)> ただ、そこはご容赦ください…。それでいかせてください…。


※陰暦は明治5年12月2日(=1872年12月31日)まで。翌日から陽暦に改暦し、1873(明治6)年1月1日。


◆慶応から明治への転換期の日付や所属先

これについても、ちょっとあやしい…。

①成立前の短期間、東京府は「江戸府」と名乗りました。それを書く必要があるのか、迷いましたが…事実なので書きました。ただ、資料によって日付が違ってたりするのでどれを信じたらよいのやら…。

②他に、郡部であった外縁部は特に色々と難しく、東京府に所属する前に、武蔵知県事の管轄になったり、小菅県、品川県、大宮県(浦和県)に編入になったり…。また、その日付が資料によってまちまちであったり、隣町は江戸府になったのに至近の町は・・県に編入されていたり…。

はっきり書かれている資料があれば別ですが、分からない部分は正直キメで書きました。

それに外縁部は地図の描かれ方が余りに適当なのです。しっかりしたものがあればそれにしたがって現地へ行って写真撮影したり、内容を入力するだけなのですが…。

また、資料があったとしても、日付がおかしかったり、肝心なことが書かれていなかったり、地図も縮尺が適当だったり、もうとっくに消滅になっている地名が地図上に堂々と書かれていたり。外縁部には本当に苦労させられています。

「おい、千駄ヶ谷や新宿、品川、南千住とかの、どこが外縁部なんだ?」とおっしゃる方もおありでしょう。…現代東京では寧ろ「内側」として存在していますが、江戸としてはそこいら辺りはみんな外縁部だったのです。


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町