カテゴリー分け
◆カテゴリー
カテゴリーには「地域カテゴリー」と「内容現在カテゴリー」があります。
・「地域カテゴリー」・・・江戸城のある麹町地域から「の」の字を書いて深川地域まで、そして荏原地域から外側にもう1周して南葛飾地域までの20地域に分けてあります。
・「内容現在カテゴリー」・・・各地域でばらつきがありますが、明治期に入り、ある程度町丁の枠組みが確定した日以後を①、その前日までを②としてあります。したがって1889(明治22)年4月30日までに消滅してしまった町は②に掲載しています。また、俗に「・・町」と呼ばれながら、正式に起立しなかった町も②に掲載しています。
なお、江戸町であったのにかかわらず、15区成立時や東京市市制施行時に郡部に追いやられた地域(荏原、南豊島、北豊島、南足立、南葛飾の各一部)には、①②のカテゴリーを設けておらず、「地域カテゴリー」と「内容現在カテゴリー」では「内容現在カテゴリー」の方に重きを置いたので、ご所望の記事がなかなか探せない場合もあろうかと思われます。
例:本所亀戸町は「本所」ではなく、「南葛飾」に掲載
→理由:本所亀戸町は、1878(明治11)年11月2日の15区発足時には本所区に所属していましたが、1889(明治22)年5月1日の東京市市制施行時に南葛飾郡に追い出されてしまいました。前述のとおり、このサイトは「地域カテゴリー」より「内容現在カテゴリー」の方を優先することにしています。
本所地域のページの内容現在は1891(明治24)年なので、
→本所亀戸町は本所地域ではなく、南葛飾地域への掲載ということになります。
◆横町(横丁)・新道・小路・河岸
◎横町(横丁)
通りの名前を中心に「牛込馬場下横町」や「本所吉岡町一丁目横町」等のように町丁として起立したものはカテゴリー①②(内容現在による)に、起立こそしなかったものの俗称地名として親しまれていたものはカテゴリー②に掲載しています。また単に道名としてのみ存在したものは【横町(横丁)】に掲載しています。
・横町と横丁の違い…どちらも「表通りから裏へ入る道」のことであることには変わりませんが、「横町」には木戸が設置されており、「横丁」には設置されていませんでした。その違いです。地主が造った新道で、幕府公認となったものを「横町」と呼ぶことになったのに対し、町入用や公役銀等の公租公課の工面のため、会所地を有効活用するために地主たちが相談して造った私道は「横丁」と書き分けたそうです。
その後、漢字表記の別は同様に扱われるようになり、どちらを使っても間違いではなくなりました。
横町(横丁)は表通りより格下とされていますが、表通りでは禁止されている火を扱う商売(飲食等)ができるため、大変賑わったそうです。なお、木戸はそれまでも火災が原因で焼け落ちてしまったのに再建せずにいたものや、あっても向こうが明地のために意味をなさない箇所があったりして、徐々になし崩しになっていったようです。そして江戸末期、「いよいよ往来の邪魔だ」と疎んじられるようになり、ついに1868(慶応4)年6月4日、木戸は江戸から全面的に取り払われることになりました。なお、「丁」は「町」の略字としても使用されてきているので、今となっては双方に厳密な違いはないとみていいでしょう。
※このサイトでは「丁」より「町」の字を優先し、地図等で「町」の字が使われているものが1つでもあれば、その場所は「丁」ではなく「町」の字を使用しました。
最近では「**横丁」という名前で思いっ切り大通りに店を構える居酒屋がありますが、あれは「横町(横丁)の雑然とした雰囲気を演出したお店」ということです。前述のとおり、江戸期は大通りに面したお店(表店(おもてだな))では、飲食物提供の営業は許可されていませんでした。
◎新道
通りの名前を中心に「通一丁目新道」や「元大工町新道」等のように町丁として起立したものはカテゴリー①②(内容現在による)に掲載していますが、単に道名としてのみ存在したものは【新道】に掲載しています。
・新道…横町(横丁)と横町(横丁)の間に別に設けた小道のこと(そうではないところもある)。そもそもは裏店の真ん真ん中には下水溝が敷設されており、その溝を板や石でかぶせて人が歩けるようにした私設の小道のことをいい、さらにはそこから左右に抜けられる路地が設けられていました。横町(横丁)同様に活気に満ちていたようです。単独でも「じんみち」と呼ぶ説、上に何かしら付く場合は「じんみち」と濁り、そうでないときは「しんみち」と呼ぶとする説とがあります。当サイトでは全て「じんみち」で統一しています。
◎小路
その後、町名として起立した「今川小路」のみ、カテゴリー①に掲載していますが、その他、単に道名としてのみ存在したものは【小路】に掲載しています。
・小路…「小道」という意味ですが、実際は大通りに次ぐ広い道のことです。さらに広場も兼ねる広めの道は「広小路」と呼びます。
◎河岸
「佐久間河岸」等のように町丁として起立したものはカテゴリー①に掲載していますが、単に河岸名としてのみ存在したものは【河岸】に掲載しています。
・「河岸」…舟の荷物の揚げ卸しをするために川岸に設けられた施設であり、水運が盛んな江戸にとっては欠かせないものでした。河岸はやがて旅客用としても機能しました。
なお、このサイトでは、横町(横丁)、新道、小路、河岸のいずれについても、明治以前から存在していたもののみを採用しています。
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