【浅草②】浅草南馬道新町
町名:浅草南馬道新町
読み方:あさくさみなみうまみちしんまち Asakusa-Minami-Umamichi-Shimmachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1877(明治10)年
冠称:「浅草」
後身:浅草馬道町三丁目
現町名:台東区浅草二丁目1・2番と35番の一部
概要:もと浅草寺境内の弁天池だったところで、1728(享保13)年に僧正公英が寺社奉行に出願、1730(享保15)年に許可され埋め立てられて成立(備考)。先に起立した浅草南馬道町の南側に続く町屋であったので「浅草南馬道新町」とした。現在の弁天山の東南麓にあたる。『浅草寺志』には「弁天山下新町」とあり、俗に「弁天横町新町」ともいった。『寛文江戸図』には「ちゃや」とあり、金龍山浅草餅の桔梗屋安兵衛の店があった(買物独案内)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数137・人口572(府志料)。1877(明治10)年、浅草馬道町三丁目に編入となり消滅。現行の浅草二丁目1・2番と35番の一部。
撮影場所:浅草南馬道新町
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