【浅草②】浅草南馬道町
町名:浅草南馬道町
読み方:あさくさみなみうまみちまち Asakusa-Minami-Umamichimachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1877(明治10)年
冠称:「浅草」
後身:浅草馬道町三、五丁目
現町名:台東区浅草二丁目34・35番の各一部
概要:成立年代は不詳であるが、南隣の浅草南馬道新町の起立が1730(享保15)年であるから、それ以前の起立であることは間違いない。「矢大臣門より花川戸町へ出る筋をいう。北側には金剛院・覚善院・徳善院・妙音院・顕松院、南側には自性院・寿徳院あり」(浅草寺志)とあるから、現在の浅草寺二天門から馬道通りに出る通りの両側を占めていたことになる。浅草寺と境内の掃除や雑用の助けとして境内で楊枝や線香を売っていた家持ち29人の役店として開いた町屋で、後に即席料理屋・菓子屋・そば屋・摺物屋等が住むようになり(備考)、明治初年には錦絵を売る店が多かった(府志料)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数123・人口531(府志料)。1877(明治10)年、浅草馬道町三、五丁目に編入となり消滅。現行の浅草二丁目34・35番の各一部。
撮影場所:浅草南馬道町
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