【浅草②】浅草小揚町
町名:浅草小揚町
読み方:あさくさこあげちょう Asakusa-Koagechō
区分:町丁か俗称
起立:江戸期
廃止:1709(宝永6)年又は1710(宝永7)年
冠称:「浅草」
後身:本社三島神社
現町名:台東区寿四丁目
概要:三島神社は古くは金杉村根岸にあったが、1709(宝永6)年又は1710(宝永7)年に収公されて当地に代地を給された。それまでこの地は「浅草小揚町」という町だった。小揚之者の屋敷地であったならばここは町丁ではなく俗称だったということになる。勿論、家作が認められていた場合は町丁だったということになるが。
『東都淺草繪圖』には既に三島神社が描かれており、当町に関する資料が殆ど見当たらないため、詳細は不明。「小揚」とは、幕府御米蔵にいた人足で、階級としては幕臣下層。
なお、『大江戸今昔めぐり』では蔵前四丁目32番(パークジャパン蔵前第6)、蔵前四丁目20番7号(シナダビル)に「小揚町」とある。
また、『下谷浅草絵図』には西福寺と浄念寺の間に「小アゲ町」とある。
撮影場所:浅草小揚町
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