【浅草②】山谷浅草町
町名:山谷浅草町
読み方:さんやあさくさちょう Sanya-Asakusachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「山谷」
後身:浅草町
現町名:台東区清川二丁目、日本堤一丁目
概要:浅草駒形町付近が用地となったため、町民は亀戸村内に5町余の替地を与えられ移住。1682(天和2)年頃、亀戸村は場末のため「渡世の相成兼候」との理由で町民は浅草に移り住み、町屋を起立(備考)。文政年間(1818~1831年)の家数276軒(町方書上)。「旧高旧領」の石高は3石余で浅草寺領。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、南側に接する浅草山谷町と区別するため、「浅草町」と改称し消滅。
撮影場所:山谷浅草町
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