【麹町②】日比谷町

町名:日比谷町

読み方:ひびやちょう Hibiyachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:慶長年間(1596~1615年)

冠称:なし

後身:武家地

現町名:千代田区日比谷公園

概要:『江戸切繪圖 : 俚俗 : 外桜田・永田町辺』の日比谷御門のすぐ西に「○古名 日比谷町」とある。

「比々谷」は戦国期に見える地名で、豊島郡のうち。「比々谷本郷」、「比々谷郷」、「比々谷村」の用例が見られる。小田原北条氏の臣、江戸衆の大胡氏(牛込氏)の所領として「六拾七貫七百八拾文 同(江戸)比々谷本郷」とあり、小田原北条氏の治下で大胡(牛込)氏の知行するところであった。

1526(大永6)年10月13日付の牛込助五郎勝行宛北条家印判状写に「比々谷村陣夫・同小屋夫押立之事 免許之進之候」とあり、また、1569(永禄12)年閏5月25日付の牛込宮内少輔宛て北条家印判状写、1583(天正11)年6月5日付の牛込平四郎宛て北条家印判状写に「比々谷陣夫六貫文」「自比々谷郷出夫銭六貫文」とあって、当地は北条氏に6貫文の夫銭を負担していた(牛込文書/武文)。

現在の千代田区南部に比定され、江戸初期には町屋が形成されたが、慶長年間(1596~1615年)、江戸城普請で町屋が移転、現在の港区域に日比谷町を起立したと伝える。また江戸城の一門に日比谷門があり、他に千代田区南部には日比谷門の他、日比谷堀、日比谷公園、地下鉄日比谷線等がある。

なお、日比谷御門は現在の千代田区日比谷濠南角と日比谷公園心字池との境にあたる内郭門。1627(寛永4)年、門、石垣を構築、1629(寛永6)年には伊達氏により、門、枡形、石垣が改修された。枡形は奥行13間・幅10間・高さ3間。この見附には橋が無いのが特色。警備は鉄砲10、弓5、長柄鎗10、持筒2、弓1組を常備、1万石の外様大名があたった(備考・柳営行事上)。日比谷公園入口に石垣の一部が残る。

撮影場所:日比谷町

撮影地:千代田区日比谷公園1番(千代田区立日比谷公園心字池北端西側 伊達政宗終焉の地)

神田橋内元衛町 日枝前町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。