【本所②】南本所大徳院前町

町名:南本所大徳院前町

読み方:みなみほんじょだいとくいんまえちょう Minami-Honjo-Daitokuimmaechō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1869(明治2)~1871(明治4)年

冠称:「南本所」

後身:南本所元町

現町名:墨田区両国二丁目

概要:前身は南本所大徳院門前。『本所繪圖 : 嘉永新鐫』には大徳院の西に「門前丁」、その南に「門前町」とある。『大江戸今昔めぐり』では撮影地のところに「八十八ヶ所 五十番」というお札の絵が張ってあり、そこが門前町なのか寺院領なのかが不明。

古くは南本所元町続き、回向院の南(切絵図・備考)。1741(寛保元)年、572坪5合が門前町屋として許可された。大徳院は古義真言宗。もと高野山金剛峰寺聖方諸同末寺の惣触頭。古くは神田紺屋町辺の宿寺居屋敷を拝領していたが、1666(寛文6)年に本所猿江に屋敷替えとなり、1684(貞享元)年に南本所元町の現地に移る。当時の住僧宥永上人を中興開山とする本尊の寅薬師如来は、徳川竹千代(家康)が1557(弘治3)年に武運長久を祈って寄付したものという(寺社書上)。化政期(1804~1830年)の家数54軒(町方書上)。

前身の南本所大徳院門前として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「南本所大徳院前町」と改称。年内中若しくは1871(明治4)年までに、回向院、大徳院、本所尾上町、元町御用屋敷と合併し、南本所元町に編入となり消滅。現行の両国二丁目のうち。

撮影場所:南本所大徳院前町

撮影地:墨田区両国二丁目7番2号(タイムズ両国2丁目)

板町 南本所横網町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。