【深川②】深川奥川町
町名:深川奥川町
読み方:ふかがわおくかわちょう Fukugawa-Okukawachō
区分:町丁
起立:1700(元禄13)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「深川」
後身:深川福住町
現町名:江東区永代二丁目
概要:「奥河町」とも書く。浜十三町の1つ。1697(元禄10)年、芥改役忠兵衛・三郎兵衛・平兵衛・与市の4人に対し、江戸市中から出る塵芥による永代浦入海の干潟埋立の許可が与えられた。その際、その代償として3,000坪の町屋敷拝領を願い出ていたが、1700(元禄13)年、深川万徳院前の湿地657坪余を町屋敷として与えられた。町名は代官・伊奈半左衛門が選んだものという。支配は町起立当初から町奉行支配(備考)。化政期(1804~1830年)の家数77軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、深川北川町、深川蛤町三丁目、深川黒江町、深川大島町の各代地と合併して深川福住町に編入となり消滅。現在の永代二丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』では「現行の福住1丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:深川奥川町
0コメント