【深川②】南本所石原代地町
町名:南本所石原代地町
読み方:みなみほんじょいしわらだいちちょう Minami-Honjo-Ishiwara-Daichichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「南本所」
現町名:江東区深川二丁目、清澄三丁目
概要:葛飾郡西葛西領のうち。切絵図には永代寺の北に記されている。元地は南本所石原町のうち。1699(元禄12)年に上地となり、1700(元禄13)年に深川蛤町の南側に代地を与えられた。また1699(元禄12)年に上地となり、深川伊勢崎町続に代地を与えられた。南本所外手町のうちも、南本所石原代地町とした。1713(正徳3)年、町奉行支配・代官両支配となる。検地は1732(享保17)年(備考)。化政期(1804~1830年)の家数は蛤町続・伊勢崎町続の合計で89軒(町方書上)。深川蛤町続の分は「わくら」と俗称した。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、深川蛤町続の町は深川和倉町に、深川伊勢崎町続の町は深川伊勢崎町に編入となり消滅。現行の深川二丁目、清澄三丁目のうち。
撮影場所:南本所石原代地町(深川蛤町続南本所石原代地町)
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