【深川②】深川塩浜町

町名:深川塩浜町

読み方:ふかがわしおはまちょう Fukagawa-Shiohamachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:不明

後身:武蔵国葛飾郡平井新田字塩浜耕地

冠称:「深川」

現町名:江東区東陽五丁目

概要:『大江戸今昔めぐり』や須原屋茂兵衛版『江戸大絵図』にある。しかし、江東区教育委員会の説明板には以下のとおりにあり、ここでいう「深川塩浜町」は江戸期には存在しなかったことになっている。

「明和2年(1765)、平井満右衛門により洲崎弁天から砂村新田にいたる干潟が埋め立てられ、平井新田が成立しました。平井新田は塩浜にする計画で開発され、明和3年(1766)には塩浜が築かれ、製塩が開始されました。

寛政5年(1793)の『分間江戸大絵図』には塩浜の位置や規模、様子が描かれています。それによると、塩浜は平井新田の西部に位置しており、海から海水を導く「塩浜汐引ホリ」と記された水路や、鹹水(濃い塩水)をつくる「汐溜」、海水を煮詰めて塩をつくる「塩カマ(竈)」などの様子がうかがえます。もともと平井新田は塩浜にする予定で開発されたものでしたが、潮の便が悪く永続しなかったため、まもなく廃止されました。

しかし、塩浜という地名は残り、「平井新田字塩浜耕地」の呼称は明治24年(1891)、この地域が深川区西平井町に編入されるまで続きました。平成18年(2006)2月 江東区教育委員会」

本項で紹介している「深川塩浜町」は、横十間川の富士見橋南詰、松平讃岐守頼胤屋敷の北、小笠原左京大夫忠徴屋敷の西に存在したもの。

なお、「深川塩浜町」は別の時期に他所に存在した。1914(大正3)年の起立で、木場六丁目の方に存在した。また、1968(昭和43)年4月1日に住居表示実施で成立した「塩浜」も、一丁目は深川浜園町の大部分、二丁目は深川塩崎町の大部分及び東平井町から成立したものでこちらも当町とは全く関係がない。深川は「塩浜」という名前が相当好きなようだ。

撮影場所:深川塩浜町

撮影地:江東区東陽五丁目11番2号(ルミネス木場公園)

深川海辺新町 石川丁

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。