【日本橋 河岸】魚河岸

河岸名:魚河岸

読み方:うおがし Uo-gashi

区分:河岸

成立:江戸期

廃止:1923(大正12)年9月1日

現町名:中央区日本橋室町一丁目

概要:日本橋川の河岸。小田原河岸の後身。『江戸切繪圖 : 俚俗 : 日本橋以北』の日本橋~江戸橋間北側に西から「●魚河岸」、「●芝河岸」、「●地引河岸」、「●高間河岸」とある。魚河岸は、本小田原町の森九右衛門等の森一族が最初に魚市場を開いた場所。その本小田原町組は古株の魚問屋で構成されており、河岸で絶対的な権限を持っていたといわれる。やがて隣に本船町組、本船町横組、安針町組という組織ができ、「四組魚問屋」と呼ばれるようになった。この四組魚問屋、文献を読むと、とても仲良くやっていたようには思えないが、明治期には全て「魚河岸」に統一されたようだ。

また、日本橋から江戸橋までの北側河岸の総称として「魚河岸」とも呼ばれ、最西の部分を「本船河岸」としていものもあり、別の地図では4河岸を「魚河岸」として、西から「芝河岸中河岸地引河岸高間河岸」としているものもある。その2つの文献に従うと、元にあった魚河岸が退いて本船河岸が入りこんだ、又は芝河岸が西に移動して中河岸がそこに入り込んだかのように取れる。またさらに別の地図では、道上に「○魚カシ 芝カシ 魚市バ ●地引カシ」とあり、米を扱っていた高間河岸ついては橋や寺社等と同様に赤塗りの四角の内に「高間カシ」とその名が書かれ、別物扱いされている。

1923(大正12)年9月1日の関東大震災によって、壊滅的な被害を受け、築地へ移転となった。

撮影場所:魚河岸

撮影地:中央区日本橋室町一丁目8番4号(タイムズ日本橋室町第2)

三日河岸 本船河岸

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。