【深川②】深川南松代町
町名:深川南松代町
読み方:ふかがわみなみまつしろちょう Fukagawa-Minami-Matsushirochō
区分:町丁
起立:1768(明和5)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「深川」
後身:深川牡丹町
現町名:江東区牡丹二丁目
概要:『大江戸今昔めぐり』には「深川南松代町代地」とある。「深川南松代町代地」が公称のはずだが、江東区の公式サイトの「町名の移り変わり」というページに「深川南松代町」とあるので採用。
葛飾郡西葛西領のうち。元地は深川南松代町一丁目の一部。1768(明和5)年、深川南松代町が類焼し、猿江材木蔵の火除地として召し上げられたため、一丁目の一部の代地が稲葉対馬守下屋敷の上地跡に与えられた。検地は1770(明和7)年(備考)。化政期(1804~1830年)の家数33軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、本所茅場町二丁目代地と合併し、深川牡丹町を起立し消滅。現行の江東区牡丹二丁目。大横川に架かっていた蓬莱橋の南詰西側。蓬莱橋は1929(昭和4)年に撤去され、代わりに巴橋が38m西に架けられた。
撮影場所:深川南松代町
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