【深川①044】深川牡丹町
町番号:深川①044
町名:深川牡丹町
読み方:ふかがわぼたんちょう Fukagawa-Botanchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:存続 「牡丹」として
冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1969(昭和44)年3月31日まで「深川」
現町名:江東区牡丹二丁目
概要:大島川の南。町場となる以前は江戸時代の埋め立てで、天明年間(1781~1789年)に築造された江戸名園の1つに数えられる庭を持つ、阿波徳島藩蜂須賀家の別邸「雀林荘」であった。
1869(明治2)年、本所茅場町二丁目代地と本所南松代町代地(深川南松代町)を併せ、深川牡丹町を起立。町名の由来は、牡丹栽培農家が多かったため(画報、案内)、又は現在の錦糸町駅付近にあった牡丹園の職人が多く住んでいたため、の2説あり。1872(明治5)年、西方に縮小した阿波徳島藩蜂須賀家下屋敷を合併。同年の戸数33・人口86(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、それまでの深川牡丹町が牡丹町二丁目となり、深川佃町が牡丹町二・三丁目に、深川平富町一丁目が牡丹三丁目、深川平富町二丁目が牡丹町三・四丁目に、深川古石場町の一部、深川越中島町の一部が牡丹一丁目に、と再編成される。1934(昭和9)年にも深川古石場町の北端部分が牡丹町一~四丁目に編入される。1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。
1969(昭和44)年4月1日、住居表示の実施により、牡丹一~三丁目、越中島一丁目、古石場一丁目となる。
※『角川日本地名大辞典』には「昭和6年、大島町、古石場町の一部、佃町、平富町1~2丁目を編入し牡丹町1~4丁目となる」とあるが間違い。
撮影場所:深川牡丹町
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