【南豊島】千駄ヶ谷甲賀町
町名:千駄ヶ谷甲賀町
読み方:せんだがやこうがちょう Sendagaya-Kōgachō
区分:町丁→小字
起立:1872(明治5)年7月
廃止:1891(明治24)年3月17日
冠称:1879(明治12)年まで「千駄ヶ谷」
後身:四谷霞岳町
現町名:新宿区霞ヶ丘町
概要:古くは武蔵国豊島郡野方領千駄ヶ谷村のうち。江戸期に甲賀組の屋敷地となり、俗に「青山甲賀町」と称した(備考)。
1872(明治5)年7月、起立。同年の戸数41・人口196(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に編入。しかし1879(明治12)年9月27日、これらは四谷区から千駄ヶ谷村へ編入され、東京府豊島郡千駄ヶ谷村大字千駄ヶ谷字甲賀町となる。甲賀組は伊賀組とともに江戸初期には半蔵門内外に組屋敷があったが、後に上地されて青山等に代地を給された。当町もその代地の1つであった。
1889(明治22)年5月1日、町村制施行に伴い、四谷区と南豊島郡の境界を再度変更。千駄ヶ谷村の一部となった字大番町、字西信濃町、字池尻、字霞岳、字川向、字火薬庫前とともに、再び四谷区(東京府東京市)へ呼び戻された。1891(明治24)年3月18日、「四谷霞岳町」という名称の新設町に編入となり消滅。
撮影場所:千駄ヶ谷甲賀町
0コメント