狸囃子(馬鹿囃子)

さぁ次はぽんぽこ狸の登場だ。江戸時代、本所には可愛い狸がたくさんいたんだろうな。

そうそう、こないだ「おいわさんといっしょツアー」やったとき、小名木川の塩の道橋北詰にある子安稲荷んとこで、おばちゃんたちがチャリンコに跨りながら井戸端会議しててさ、内容聞こえたんだよ。

「あの狸どうしたの?」

「ほら、うち猫飼ってるでしょう?だから逃がしたわよ」

って、出るんだなぁ、狸。あすこは本所でも深川でもなく、城東なんだけどさ。つい最近も秋葉原にレッサーパンダ出たって言うじゃないか。もとからいたのと外来種といっしょくたにできないけどね。

歌川国輝の絵だと小さな堀があるね。こんぐらい小さな堀は地図には載っちゃないけど、江戸中に張り巡らされていた。その向こうにはいるねー、狸たち。

―以下全てお話部分はWikipediaを引用―

江戸時代の本所(東京都墨田区)では馬鹿囃子(ばかばやし)とも言い、本所を舞台とした本所七不思議と呼ばれる奇談・怪談の1つに数えられている。

囃子の音がどこから聞こえてくるのかと思って音の方向へ散策に出ても、音は逃げるように遠ざかっていき、音の主は絶対に分からない。

音を追っているうちに夜が明けると、見たこともない場所にいることに気付くという。平戸藩主・松浦清もこの怪異に遭い、人に命じて音の所在を捜させたが、割下水付近で音は消え、所在を捜すことはできなかったという。その名の通りタヌキの仕業ともいわれ、音の聞こえたあたりでタヌキの捜索が行われたこともあったが、タヌキのいた形跡は発見できなかったという。

東京都墨田区の小梅や寺島付近は、当時は農村地帯であったことから、実際には収穫祝いの秋祭りの囃子の稽古の音が風に乗り、いくつも重複して奇妙なリズムや音色になったもの、または柳橋付近の三味線や太鼓の音が風の加減で遠くまで聞こえたものなどと考えられている。


ってことでポンポンと行こう。

次は「狸囃子(馬鹿囃子)」の舞台となった墨田区立本所中学校前に来た。うちのバンドのベース担当K原の出身中学校だ。愛称「ほんちゅう」。

歌川国輝の絵だと堀はごくごく細いもの。江戸の街中に張り巡らされた名もなき溝。実際、松浦邸の南辺りには溝があった。お話の「割下水付近で音は消え」という部分から考えると、よく言われているように舞台はここ本所中学校からやや南の春日通り、つまり本所北割下水なんじゃないかと思う。


ここには明徳小学校というのが在ったそうだ。

1872(明治5)年に学制が公布され、公立学校が設立されることになった。本久寺内に寺子屋が開設されたがそれが後の明徳小学校(本久寺からはやや東)。その3年後、この場所に移転してきたが、その後の関東大震災、東京大空襲で2度全焼したんだそうだ。


ってことで、本所中学校からやや南に位置する春日通りの本所二丁目交差点に来た。この春日通りってのが「本所北割下水」っていう堀だったんだよ。「狸囃子(馬鹿囃子)」の舞台。


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:本所長崎町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。