おいわさんといっしょ ツアー

よいこのみんなー!おいわさんといっしょにながれてみよう!

※フェイスブックに載せているものを転載。文章は一部修正。

 元ネタは2015(平成27)年9月29日(火)アップ


高田四ツ家町宗参寺領(目白通り 高田一丁目交差点)

ここは『東海道四谷怪談』において、民谷伊右衛門とその手下によって、お岩さんと小平が戸板に釘付けされた現場。つまり、民谷伊右衛門とお岩さんが住んでいたとされてる家跡附近。まぁ、作り話なんだけどさ…。


「あれ?四谷左門町じゃないの?」と思うでしょう?あれは実在の田宮伊右衛門とお岩さんの住んでたところ。作者の鶴屋南北が「そのまんまじゃさすがにやべえだろう」ってことで、「四谷」と同じ読みのここ「四家」を舞台とし、冠に「東海道」なんて広範な地名を付けてボヤかしたんだってさ。その際、田宮姓も「民谷」なんて別の漢字を当てて誤魔化した。


そう、『東海道四谷怪談』っていうのは、当時江戸で起こった色んな話をくっ付け合わせた「お話」だってことを忘れちゃ駄目だぜ。


実際のお岩さんは意固地な女なんかではなく、落ちぶれた家を立て直すため、見栄を張らず夫婦揃って奉公に出るぐらいのいい女。そんなお岩さん、田宮家の庭に祀られていた屋敷神を篤く信仰していたという。そのお蔭で田宮家はどうにか持ち直したんだとさぁ。


その噂は江戸の町々を一気に駆け巡った。町民たちは少しでもそのご利益を与ろうと田宮家屋敷神を「お岩稲荷」と呼んでお参りに来るようになったんだって。それが現在も四谷にある「お岩稲荷」さ。この高田四ツ家町じゃないよ。


とにかく実在した伊右衛門とお岩さんのことを、お話のなかの2人とごっちゃにしちゃっちゃ駄目だよ。


実在したお岩さんは毒なんか飲まされてないし、目も腫れ上がってない。髪を梳かしながら悶え死になんかしてもないし、戸板に打ち付けられて川になんか流されてもない。


お岩さんはとっても美人でいい女だったんだって!


ってことで、今日、俺が辿るのは【『東海道四谷怪談』のお岩さんが民谷伊右衛門】に「水葬」と称して姿見の川の俤の橋(神田川の面影橋)上から捨てられて、境川(隠亡堀)に釣りに出た伊右衛門を戸板返しでビビらせるまでのコース。


ってなわけで、今は雑司ヶ谷鬼子母神表参道入口となってる民谷宅前を始点とする!


戸板の裏には伊右衛門に「お岩の不倫相手」と嫌疑をかけられて殺された小平もいるんだから言ってやんないと可哀相だけど、うーん、奴のことは考えないことにしよう。


とにかく今日はお岩さんとデートしたい。ってことで、題名を「おいわさんといっしょ」ツアーにした。


んじゃ、出発すっとしよう。橋や周辺の地域に関する薀蓄を絡めながら。でも、主は赤い線でお岩さんが進む方向を示した行程連続写真。


※撮影が困難だった場所、「これじゃ判りにくいだろうな」というような場合の補足画像以外はほぼ左岸からの撮影としました。


高田四ツー家町宗参寺領(目白通り 高田一丁目交差点)

高田四家町宗参寺領は目白通りを挟んで南北に在ったから、もしかしたら現場はオリジン弁当目白高田店の在るところかもしれないけどね。

さて目白通りを渡って、この宿坂っていうのをどんどん下りてくんだ。伊右衛門がきょろきょろと辺りを窺って歩き、手下がお岩さんと小平を釘付けした戸板を運んでんのが目に浮かぶ。



宿坂

坂の多い区出身だけど、下町に越して随分経つし、もう坂の多い区には住みたくないと思った。



宿坂

この宿坂の1本西にあるのぞき坂は東京一の急坂なんだってさ。もっと急なのあると思うけどな。関口台地と神田川を最短で結ぶには急坂が便利だったようだね、下るには…。

右手は江戸五色不動の1つ、目白不動 金乗院


これは右に進む。


高田総鎮守氷川神社

高田総鎮守氷川神社を右手に進む。主神が素盞嗚命なため「男体の宮」と言われる。これに対し、奇稲田姫命が主神である落合村の下落合氷川神社は「女体の宮」と言われ、2社で「夫婦の宮」と呼ばれる。



◉神田川 面影橋

一行は「姿見の川 俤の橋」に到着した。ここから戸板に釘付けしたお岩さんをぶん投げる…。

舞台とされた神田川、江戸時代は川面に顔が映るほど澄んだ流れだったようだ。お岩さんが川を鏡代わりにして櫛で髪を梳かしていたという設定なぐらい。

なお、面影橋は「姿見の橋」という異名もあるが、それはこれよりやや北に流れていた小流に架かる橋の名前だったとも言われている。

気になって明治初期の地図を見ると、ここが「姿見の橋」になってて、これより上流1本が「面影橋」となっていた…。むむむ、謎だ。

南詰の新目白通りには都電唯一の生き残り、荒川線が走る。


◉神田川 面影橋

「ご主人、本当によろしいのですか?」

「ええい、早くせえ!」

「いっせえの!」

「ざっぷーん!」

何て惨えんだ!

ってことで「おいわさんといっしょツアー」が本格的にスタート!



◉神田川 面影橋

しかしよく人が落っこちる橋だ。「神田川に架かる140の橋」というサイトの文章をそのまま引用すっとしよう。

『戦国時代に於戸姫という名前の美女が落ち武者と暮らしていた。あるとき一人の男がこの娘を誘拐したところ、娘が失神し、それを死んだものと思って置き去りにする。

通りがかった杉山三郎左衛門という男が、自宅に連れ帰り、近くの小川氏の娘として育てたが、小川氏の友人が娘の余りの美しさに小川氏を殺害して娘を奪おうとするも、娘がその友人を殺害。娘は自分の美しさを恨んで、黒髪を切り落とし、そのまま神田川に身を投げたという。

村人達はその娘の死を哀れみ、橋からその面影を偲んだことから面影橋の名前がついたというのである。』

「娘は自分の美しさを恨んで」…。お会いしたかったもんですなぁ!


◉神田川 面影橋

江戸では真水が採れない。それを徳川家康が平川改修によってどうにかした。凄いことだ。いつそれを指示し、いつ準備し始めて、いつ着工し、いつ竣成したのか?現代でも何年もかかる工事だ。一体どんぐらいの期間を要したんだろう?

49歳で江戸入府、66歳で駿府城へ。その17年間で本当に工事を見届けたのか?嘘臭えんだよな、こういう話。他の奴がやったり言ったりしたことでも一番偉い奴の手柄になっちゃうしな。



◉神田川 三島橋

こういうショットと、次のショットみたいのが出てきます。



◉神田川 三島橋

房総から武蔵へ入った源頼朝がここで武者揃えをしたという。その際、三島神社を勧め請うてそれ以来「三島」と呼ばれるようになったとか。

しかし色んな武将たちの行動等が各地名になってるけど、本当んとこ、多すぎない?俺、絶対嘘だと思うんだけどなぁ。



◉神田川 仲之橋

よくある橋名。ある橋とある橋の中間に「もう1つあればいいな」という思いから架けられた橋なんだろう。ここでは、次の豊橋三島橋の間っていう意味だろう。ただそれぞれの架橋年が不明だからもしかしたら別の橋かもしれない。



◉神田川 豊橋

橋名由来はここよりやや北に豊川稲荷があるためか。



◉神田川 駒塚橋

駒塚となったのは不明だが、別名 駒留橋は砂利採集のため、将軍の鷹狩の休憩のため、ここで多くの馬(駒)が繋がれたことかららしい。旧両国橋辺の片葉堀に架かっていた小橋も駒留橋という名前だったし、蛇崩川にも駒留橋というのが架かっていた。

胸突坂はすぐ近く。関口芭蕉庵(本名・竜隠庵)というのがあり、そこで松尾芭蕉が帳簿付けをしていたらしい。本当かなぁ、いくらなんでもあっちこっちに所縁ありすぎじゃねえの?芭蕉はまたこのあと、小名木川 萬年橋で出て来る。



◉神田川 大滝橋

神田上水取水口・大洗堰のあった付近に架橋されている。往時まるで滝のように豪快な様だったことからこの橋はこう名付けられた。

ここいらの地名はその取水口があまりに有名なので、取水口⇒関口となったわけ。


◉神田川 一休橋

旧称・関口橋。左岸に在った一橋家の抱屋敷から「いっきょうばし」と呼ばれ、今に落ち着く。

この区間は川沿いが綺麗に整備された遊歩道、お岩さんも優雅に流れて行く感じ。



◉神田川 江戸川橋

江戸川って言うと、たいていの人は東京都と千葉県境に流れるあの大きな川を思い浮かべんだろうね。

1970(昭和45)年8月の河川法改正前は、1本の流れでも川は場所場所で呼ばれ方が違った。今は神田川として統一されたが、嘗てここは江戸川だった。



◉神田川 華水橋

お茶の世界で「井華水」とは夜明けに汲む水のことを言うらしい。ここの水を汲んだのだろうか。またこの辺りは桜の名所と言われていたため、川面に落ちた花びらもまた美しということからなのか、詳細は不明とのこと。



◉神田川 掃部橋

吉岡掃部という紺屋がこの橋近くに住んでいた説。「掃部」とは宮中の掃除等をしていた人の役職名。その役職名は子孫も用いたとされる。

例として、爺さんは八百屋だったけど、自分は八百屋でも何でもない。しかしみんなから「八百屋」と呼ばれる、というようなもの。

この近辺に住んでいた吉岡掃部は当時紺屋だったというけど、先祖の仕事名で呼ばれたんだね。当時、紺屋は賤民として差別されていたらしい。昔ってそんなことばっかりやってたね、しかし。そんな理由から吉岡さんはその後に落ちぶれることになったのか?



◉神田川 古川橋

神田川、「嘗てここは江戸川だった」と書いたけど、その前は「古川」と呼ばれてたらしい。旧称・粗朶橋。薪として使う粗朶を売る店が軒を連ねていたらしい。



◉神田川 石切橋

ここからしばらくは親柱を撤去してやがる。何考えてんだ、馬鹿野郎。この辺り、石工職人が多く住んでいたからこの名となったらしい。ザ・クオリーメンだね!石切工もさっきの紺屋同様賤民とされていた。どうしても川沿いに住まわされたんだよな…。


◉神田川 西江戸川橋

旧・西江戸川町に架かる橋。



◉神田川 小桜橋

桜の名所だったことからこの名となった。


◉神田川 中ノ橋

石切橋隆慶橋の間に架けたからこの名前。今はこの先に新白鳥橋白鳥橋新隆慶橋が架かる。



◉神田川 新白鳥橋

自動車専用橋。目白通りの混雑緩和を目的として1965(昭和40)年に架橋。「白鳥」については次で説明する。



◉神田川 白鳥橋

江戸初期、この辺りに広がっていた白鳥池が由来。

池は1657(明暦3)年の大火後に埋め立てられちまった。どうしてそういうことをすんのか。

この辺の通称はあの有名な「大曲」。



◉神田川 新隆慶橋

遂に完成したか!ずいぶん長い工事だった。

新隆慶橋が完成したときに1つ先の隆慶橋は撤去される予定だったんだけど、住民が都に陳情して残されることになったとのこと。

この新隆慶橋の架橋とほぼ同時進行で次の隆慶橋東詰に在ったみみずく屋という煙草屋が取り壊され、飯田橋ファーストタワーというオフィルビルがおっ建っちまった…。

みみずく屋は、1915(大正4)年に創業。日本初の煙草小売商として認可され、1958(昭和33)年に黄綬褒章を受けた。あの屋根の上の、「タバコ」と書かれたタイル製の煙突みたいのが好きだったのにな…。



◉神田川 隆慶橋

隆慶橋、名前の由来は不明。しかしこんな事件の舞台になった。

浅草花川戸の町奴であった幡随院長兵衛が旗本の水野十郎左衛門と悶着を起こした。水野の屋敷に呼ばれた長兵衛はすっかり手打ちかと思いきや、入浴中に殺されてしまう。その長兵衛の死体が流された場所がここだという。しかし長兵衛も呑気だな。対立してた奴の家に行って風呂入るかね。

うーん、それにしてもよく死体が流される川だ。



◉神田川 船河原橋

飯田橋駅前のあの複雑な橋。別名・お留め橋、ドンド橋。

ここから柳橋を出て隅田川へ注ぐ流路が完成し、平川(神田川)は日比谷入江までの本流(現・日本橋川)を捨てた。それによって舟運が前よりも盛んになり、ここがその揚げ場として賑わった。

なお、この近辺に岩瀬市兵衛の屋敷があったことに因み、ここから水道橋までは「市兵衛河岸」と呼ばれる。



◉神田川 小石川橋

小石川は広域名称であり、その小石川地区に架かる橋だから小石川橋だというのは解る。ではその「小石川」とは?

徳川家の菩提寺伝通院の前を小石の多い川が流れていた。それが小石川。今はもう暗渠となっている。その一帯の地名になるような川や橋を残さないっていうののセンスが解らない。

「でんづういん」だからね、ちゃんと濁ってくれ。逆に「白金」を「しろがね」っつったり、「鳥越」を「とりごえ」っつったり、本当冗談じゃねえ。



◉神田川 後楽橋

水戸徳川家屋敷 後楽園庭園が由来。説明不要かもね。ジャイアンツ戦観に行くときは渡る。ちなみに、ジャイアンツファンではない。かといってアンチでもない。



◉神田川 後楽園ブリッジ

後楽橋の上ね。工事中で判りにくいけど。



◉神田川 後楽園ブリッジ

このスロープ状のを渡って東京ドームシティに入ることもあるけど、下の後楽橋を渡る方が多いかな、信号待つとしても。



◉神田川 後楽橋後楽園ブリッジ

野球観戦後、しょっちゅう小競り合いが起きる場所。橋渡ってきてすぐの南詰にあるさくら水産が宥め処(もう既に閉店か…)。



◉神田川 水道橋

神田上水の架桶が由来。ほとんど説明不要でしょう。旧称・吉祥寺橋。



◉神田川 お茶の水橋

ここも説明不要だろう…。

お茶の水とは慶長年間、神田山の麓の高林寺の庭から良質の湧水が出ていた。徳川秀忠はそれをお茶用に使い大変喜んだという。だからお茶の水…。蕎麦用に使ったら「蕎麦の水」だったんだなぁ。



◉神田川 聖橋

橋名は北の湯島聖堂・南のニコライ堂を結ぶ橋ということから。



◉神田川 東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅淡路町駅間鉄橋

近隣に医大病院の多い御茶ノ水駅なのにノーバリアフリー!それを反省して、駅上に通路を設けてエスカレーター、エレベーターを設置する工事が行われている。



◉神田川 東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅淡路町駅間鉄橋

山あり谷ありの東京の地形。地下鉄なのにこうなる部分はある。



◉神田川 神田川橋梁(JR総武線御茶ノ水駅~秋葉原駅間鉄橋)

昌平橋から撮影。毎日電車で上を通ってるけど、下から見るのも乙なもんだ。



◉神田川 昌平橋

江戸時代はこの先の万世橋はなくて、この昌平橋万世橋の間に筋違橋っていうのがあった。

徳川綱吉が設立した昌平坂学問所からこの名となる(昌平郷…孔子の出身地)。

旧称・芋洗い橋。一口神社(いもあらいじんじゃ)が大阪から駿河台に移転してきたことかららしい。市ヶ谷の一口坂も本当は「いもあらいざか」って読む(六本木の芋洗坂はそのまま)。

つい最近まで、バンド練習は北詰近くの「スタジオ音楽館アキバ」を使ってた。



◉神田川 万世橋

ここも説明不要かなぁ!つい最近も『黄金餅』で使ったし。本名は訓読みの「よろずよばし」。別名は眼鏡橋。



◉神田川 神田ふれあい橋とJR各線秋葉原駅神田駅間鉄橋

山手線、京浜東北線等ががんがん通る。


◉神田川 神田ふれあい橋

柳森神社から秋葉原駅に向かうときに便利な橋。これが出来てから、わざわざ柳原土手を和泉橋の方に行く奴はいないと思う。

東北・上越両新幹線東京駅乗り入れ工事のために架けられたJRの鉄橋工事用だったが、地元の要望で残ったんだと!


◉神田川 和泉橋

附近に藤堂和泉守高虎の屋敷地があったことにより、界隈は神田和泉町と呼ばれていた、そして神田川に架けられた日本橋地区へ渡す橋は和泉橋と名付けられた。



◉神田川 美倉橋

元は「新シ橋」、「柳原新し橋」。『黄金餅』のときにも汐留川で出て来た名前。純粋に「新しく架けた橋だが、いい名前の候補が出ない」ときにこういう名前になるんだろう。「中之橋」等と並んでやたらに多い名前だ。

しかし、今の名前となったのは明治期。江戸時代この神田川沿いに神田佐柄木町蔵地、本銀町会所屋敷蔵地、神田紺屋町二丁目横町蔵地という3つの蔵地があって「三倉地」と呼ばれていた。明治に入り合併、その際、「三」を美称の「美」とし、「美倉町」となったのだが、この橋の面倒はその町民が見ていたので「美倉橋」とされた。


◉神田川 左衛門橋

北詰に酒井左衛門尉の下屋敷があったことによる。

バンドの練習後、財布が淋しいときはコンビニで酒を買って、美倉橋左衛門橋の橋詰で小宴を開いている。いや、普通に呑み屋で呑んだ後も呑み足りなくてそうしてるなぁ…。

お岩さん、舟にぶつかんないように気を付けて!


◉神田川 浅草橋

ここも説明不要だろう。北詰に浅草見附跡あり。屋形船の繋留があって、神田川で一番好きな風景。


◉神田川 柳橋

隅田川との合流箇所。お岩さん、いよいよ隅田川に入る。

ここいらは嘗て花街として活況を呈していたが、現在料亭はこの左手に在る亀清楼一軒のみ。

この附近に柳がたくさん植えられてから「柳橋」となったが、その前は「川口出口之橋」と呼ばれていたとのこと。

橋上から屋形船が神田川から上流へ下流へと出たり入ったりを見るのが好き。今、お岩さんは神田川から出たばっかりの屋形船とは逆の下流へ流れている。


◉隅田川 両国橋

神田川との合流地点

江戸の母なる川・隅田川。10月1日は都民の日、学校でかっぱのバッジを買えば都の施設はロハで入れた。それは東京っ子の常識だけど、当時は隅田川とは縁遠くて、「何でかっぱなんだろう?」って思ってた。



◉隅田川 両国橋

ここもほとんど説明不要でしょう。江戸時代的に言うと「大川の大橋」と言った方がいいか。大川よりもっと古く言えば「宮戸川」とか「住田河」とかあるけど。

それまでは「大橋」と呼ばれてたけど、武蔵国と下総国とに跨ってたから「二州橋」、「両国橋」と呼ばれ始め、後者が定着した…。

↑ とか何とか、けっこうそう言われて信じられてるけど、それは嘘。実際の国境は古隅田川(今の横十間川)であって、本所はもともと武蔵国!江戸が東に広がっただけで、本所はもともと武蔵国。ただ、横十間川から東の亀戸地区が下総国から武蔵国へ移管されたのは事実。そして亀戸も逆井の渡しのところまでが江戸となったんだ。

両国橋、元の架橋位置は今より少し南側。東両国は橋詰の本所藤代町が繁華で、その南の本所尾上町には見世物小屋があって賑わってたんだと。

詳しくは『本所七不思議ツアー』でやります。



◉隅田川 両国大橋

首都高速6号(向島線)と7号(小松川線)の合流地点「両国ジャンクション」と言った方が判りやすいか。カーブで1車線になるから当然混む!



◉隅田川 新大橋

大橋(両国橋)に続く橋。だけどこっちは「新両国橋」にはならなかった。とにかくぼっかれ橋のため、廃橋を宣告されるも住民からの「費用は俺達が持つから!」の請願で存続決定。ただし、余りにも危険なため、以下のお触れが橋の袂の高札に出された。

「此橋の上においては昼夜に限らず往来の輩やすらうべからず、商人物もらひ等とどまり居るべからず、車の類一切引き渡るべからず」

しかし、関東大震災でも焼け落ちなかったことで別名「人助け橋(お助け橋)」と呼ばれるようになる。それは小網神社のご加護があったからだと言われる。


◉小名木川 萬年橋

隅田川との合流箇所。お岩さん、小名木川に入る。

また徳川家康だ、本当に本人が言ったのかね。家康が行徳の塩を江戸城に運ばせようと小名木四郎兵衛に命じて掘鑿させた堀がこの小名木川。

小名木川は他の江東内部河川のほとんどが暗渠や埋立の憂き目に遭うなか、唯一の全域開渠のまま現存している。

竪川好きの俺は小名木川のその恵まれっぷりが憎たらしく思えるんだけど。


◉小名木川 萬年橋

これが「ケルンの眺め」だよ。向こうに見えるのが隅田川に架かる清洲橋。清洲橋通りを東にまっつぐ行くと境川の暗渠となり、つまりそこは隠亡堀。このツアーの終点。



◉小名木川 萬年橋

本名「元番所のはし」。江戸の拡大により番所は東端に移され、そこには「番所橋」が架けられた。

葛飾北斎が富嶽三十六景で「深川萬年橋下」、歌川広重が名所江戸百景で「深川萬年橋」を残す。

なお北詰には、神田川の駒塚橋で出て来た松尾芭蕉が再登場。日本橋の小田原町から転居してきた芭蕉宅があったそうだ(今は芭蕉稲荷神社になっている)。



◉小名木川 萬年橋

歌川広重の「深川萬年橋」のあの構図は本当に見事だと思う。「亀は萬年」って洒落にもなってるしね。



◉小名木川 萬年橋

橋詰でのお茶休憩も終わり。さぁラスト・スパートだよ、お岩さん!



◉小名木川の萬年橋から新小名木川水門

台風で大雨が降ろうと、下町の川は各所にこれがあるから逆に安心なんだってば。逆に善福寺川とかいっつもあれじゃねえか。「ゴミは下品な江東区が燃やせばいい」と言ってた杉並区、違うか?

お岩さん、信号青だよ!巧くすり抜けてね!


◉小名木川 高橋

舟運が盛んな江東内部河川。その先陣は小名木川。物流の障害になっちゃいけねえってんで、全ての橋は太鼓橋。そのなかでもとりわけ勾配をきつくつけたのがこの高橋だったとか。

でもほとんど例外なく、江東デルタ地帯の橋は太鼓橋。橋の向こう河岸は見えないのが常識。他の地域の人が下町に来て驚くのの1つはそれだろうな。

「たかばし」と濁ってくれ、それが正しいから。



◉小名木川 西深川橋

数ある震災復興橋梁のうちの1つ。当然江戸時代には無かった。後藤新平のような政治家が出て来てくれないもんかね。



◉小名木川 東深川橋

これも西深川橋と一緒。



◉小名木川 大富橋

これもそう。

護岸内には通路があるけど、川沿いにはどこも建物がぎりぎりまで建っている。それも遠ざけるように全部川に背を向けた状態。かなり残念だ。

川との共生は江戸川区が一歩も二歩も進んでいると思う。



◉小名木川 新高橋

同じく震災復興橋梁。江戸の町々は橋がないと始まんないんだよ、何事も。



◉小名木川と大横川の交差箇所



◉小名木川 新扇橋

これも震災復興橋梁。

扇橋は大横川だから間違えないように。



◉小名木川 小松橋

これも震災復興橋梁。とにかく江東内部河川には多い。



◉小名木川 小松橋

さらに東へ。


◉小名木川 小名木川橋

こないだの『黄金餅』では「一本松」が出て来たけど、この橋の橋詰には「五本松」がある。『江戸名所図会』や歌川広重の『名所江戸百景』で有名でしょ。



◉小名木川 小名木川橋

多少わざとらしくてもこういう演出をもっとしてほしい。



◉小名木川・横十間川 小名木川クローバー橋

それまでの小名木川の順路を振り返る。



◉小名木川・横十間川 小名木川クローバー橋

小名木川と横十間川の合流箇所。

今やなくてはならない橋となった。大横川との合流点にもあれば便利なんだけどな。ハゼ釣りを楽しむ人が、ここから竪川の亀島橋までビッシリ。



◉小名木川・横十間川 小名木川クローバー橋

お岩さん、ついに横十間川に入る。

横十間川は別名がたくさんある。天神川、釜屋堀、横十間堀、横十間堀川…。1659(万治2)年、徳山重政と山崎重政によって開鑿された。

江戸の常識だけど、大横川も横十間川も地図で見ると縦に流れている。そして竪川は横に流れている。同じように落語でお馴染みの熊五郎が住む神田の竪大工町は横、隣の横大工町は縦。

何故かって?

全部江戸城から見た、縦(竪)と横なんだよ!



◉小名木川・横十間川 小名木川クローバー橋から横十間川 水門橋

水門橋はそれより南方「横十間川親水公園」として整備された部分の水を吐き出す役割をしている。水位がかなり違うために排水の際、泡が立ってかなり潮臭いんだけど、俺はこの匂いが大好きだ。



◉横十間川 水門橋

水門橋といっても実際は橋じゃない。さっきも書いた通り、ここから南、横十間川親水公園とされた部分の排水を行っている施設だ。

公園化されたすぐ南には、水上アスレチックとスワンボート場があって、子供たちに大人気。夏場はずぶ濡れのガキんちょやボートに乗りに来た家族やカップルで賑わう。

ということで、水辺はここで一旦切れる。だからさすがのお岩さんも流れられない。ここは陸に上がって歩ってもらうしかないね。


◉横十間川 水門橋

お岩さん、この先のスワンボートのとこでまた水に入ってくださいな。



◉横十間川 水門橋三島橋

スワンボートは30分で700円。岩井橋の方まで行けちゃう。往きは調子ん乗って飛ばすけど、帰りは辛い。漕ぐ脚が上がらなくなる。


◉横十間川 水門橋三島橋

三島橋の工事がとにかく長い。いつまでやってんだよ、って感じ。

工事中につき、仮橋が架かってる。お岩さん、鼻の頭を擦り剥かないように気を付けて!



◉横十間川 三島橋

三島橋、工事長いなぁ。



◉横十間川 三島橋岩井橋

ここがいつまでもこうなってるとジョギング好きは困るね。道に「・・・しや」って書いてあるけど、「うらめしや」ではなく、「つうこうしゃ」「じてんしゃ」。



◉横十間川 三島橋岩井橋

仮設の橋は有難いけど。

お岩さん、ここは鼻の頭を引っ掛けそうだよ。軽く潜ってちょうだい。


◉横十間川 三島橋岩井橋間の仮架橋

また向こうに仮橋あるよ、お岩さん、気を付けて!



◉横十間川 三島橋岩井橋間の仮架橋

岩井橋が見えてきた!そろそろ終わりだよ、お岩さん。疲れたでしょう。あとちょっとだ、頑張って。


◉横十間川 三島橋岩井橋

柳がいい感じ。いかにも出そうでしょ?



◉横十間川 岩井橋

まだ新木場のオフィスにいた頃、散歩を兼ねてちょくちょく徒歩で帰宅することがあった。一度だけ同期のMを付き合わせたことがあった。この右岸にあるボードウォークを通りかかったときのこと。ちょうど岩井橋の橋の下。

お化けの話とかそういうのがとにかく嫌いな怖がりのMに「ここお岩さん所縁の場所なんだぜ」と言ったそのとき、「ブワッ!」っていう風圧と「ガラガラッガッシャーン!」

チャリンコでボードウォークを走行していた若い奴が俺達の横っちょで素っ転び、そいつの持ってたコンビニのレジ袋から物凄い勢いで缶ビールが吹っ飛んだ。缶はうち数本穴が空き、「プシュー!」って音を立てながら勢いよく辺りに泡を噴出してた。

「おいっ、怪我ねえか?ここ徐行しなきゃ駄目だぜ」と言うと、若い奴はわりと素直に「すいません」と謝ってきた。

で、Mはどこに?奴は恐れおののいて「ウワァーッ」と叫びながら走って逃げていった。Mは本当に臆病なんだ。


◉横十間川 岩井橋

いけねえ、Mの話を書いちゃって、説明が後回しになっちゃったけど、写真の矢印のようにお岩さんはこのコンクリートの橋桁に特攻するわけじゃない。この岩井橋が渡している道路こそが境川(隠亡堀)なんだよ!



◉横十間川 岩井橋、横十間川と境川(隠亡堀)の交差する箇所

岩井橋が通す清洲橋通りは嘗て「境川」という堀だった。また清洲橋通りに会ったね。

そう、いよいよお岩さんは自分を殺したも同然の男・民谷伊右衛門に対して、人生(?)最大のドッキリを仕掛けるため、横十間川から境川(隠亡堀)に入っていくんだ!



その前に、横十間川 岩井橋上から、横十間川に入った水門橋からの順路を振り返る。



◉横十間川 岩井橋、横十間川と境川(隠亡堀)の交差する箇所

さて、本日、清洲橋通りには何回出たでしょう?



◉横十間川 岩井橋、横十間川と境川(隠亡堀)の交差する箇所

お岩さん、どうしますか?ゴールまでは歩く?それとも横になって流れてく感じで終わる?


◉横十間川から境川(隠亡堀)

お岩さん、ここ勾配あるから、戸板に車輪付ければびゅーんって行けるよ。



境川(隠亡堀)

ENEOS Dr.Drive 南砂SSを右手にあともう少し。伊右衛門は釣り糸を垂らしてるかな?



◉横十間川との合流地点(岩井橋)を振り返る。

境川は1928(昭和3)年に埋立られた。小名木川、それに続いて横十間川、大横川、竪川等とほぼ同時に掘られたのに。他にも暗渠・埋立で消えた堀はたくさんあるけどね…。ただやっぱりこうやって有名なお話として残ってるところはこうやっちゃ駄目だと思うんだなぁ。

親水公園ならお岩さんが流れてるイメージまだ湧くだろうけど、これ、普通に道路だもんなぁ。最後の最後、何となく悲しいわ。



境川(隠亡堀)の焼き場(砂村火葬場)前

ここが終着。そう、ここが有名なあの「戸板返し」の舞台。もちろん設定上の話。伊右衛門、さぞやビックリしただろうなぁ。お岩さんの「してやったり」の顔もお茶目で愛らしい!

ただここに砂村火葬場が在ったのは事実。跡地には現在、ウ*ン*ーハ*ム**というマンションが建つ。住民は知ってか知らずか。

今日一日、お岩さんを独占したような気分になれたぜ!…小平のことは完全に忘れてた。

ってなわけで、「おいわさんといっしょ」ツアーはこれにてお仕舞い。

(_´Д`)ノ~~オツカレー お岩さん!愛してるぞ~!

―了―


江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿