津軽の太鼓(津軽屋敷の太鼓)
ってことで北斎通り(本所南割下水)にまた戻ってきた。今度はほぼ西端の墨田区立緑町公園。
―以下全てお話部分はWikipediaを引用―
江戸時代の頃の本所に所在した津軽越中守の屋敷には火の見櫓があった。しかし通常火の見櫓で火災を知らせるときは板木を鳴らすのだが、なぜかこの屋敷の櫓には板木の代わりに太鼓がぶら下がっており、火事の際には太鼓を鳴らした。なぜこの屋敷の櫓だけが太鼓だったのかは誰も知らない。
他には越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと太鼓の音がするという物語も存在する。
公園では子供たちがサッカーをやって遊んでいた。
ちょっとボケちゃったな。
Wikipediaによると「津軽の太鼓」は
全エピソードの中でも最も怪異な起伏が少なく、七不思議から省かれることもある、
んだそうだ。まぁたしかに「何で板木じゃなくて太鼓なの?」ってだけだからなぁ。
ただ、こんな記事を見付けた。
―以下引用―
三代目藩主信義が江戸城中でのお国自慢で加賀の殿様に対抗し、十尺の大太鼓があると大ぼらを吹いてしまいます。それでは確認の者を差し向けて確認するということになり、あわてた信義は急遽、造らせたという話があります。四代目信政の時、この大太鼓を江戸上屋敷に運び込んだとあり、その太鼓の音は江戸市中に響き渡り、津軽の太鼓は江戸の名物になったといいます。
―引用終わり―
他に度重なる不祥事から本所に移転させられたことに腹を立てて太鼓を打ち鳴らしたという説もあるんだよね。
たとえそうでもおっかなくはないね。
北斎通りにはすみだコミュニティバスが走っててとっても便利だ。写真の右の方に行くと江戸東京博物館がある。
緑町公園南側ではすみだ北斎美術館建設中。ここには以前テニスコートが在った。テニスコートは大横川の江東橋~撞木橋間に移設された。
共産党系議員が必死に建設反対を叫んでるけど、江戸東京博物館のすぐそばだもん、外人客がけっこう来ると思うけどな。
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